みんながいる。大丈夫。

Dance with Grief

2014年に母をじしで亡くしてからの、娘の話。実験だったり、冒険だったり、メンタルが強かったり激よわだったりする話。

大事なことがわからない時はどうしてた?

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大事なことが比べられない時に

自分の出来るなかで、一番大事なことをえらぶのはとてもむずかしい。

そんな時は自分と同じ目線で、自分の人生のことをいっしょに考えてくれる大人に相談をして、

一番自分の心を大事にしてあげる道をえらんでいいんだと、数年かかって学びました。

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九州に実家があり、当時関東で一人ぐらしをしていた私は

 

ばあちゃんのいる九州の実家に帰って

お母さんのつらい思い出のそばでばあちゃんを支えつつ一緒に生活をするのか、

それとも仕事があり友達もたくさんいる関東でまず自分を大切にするのか

 

これからの数年間を誰のためにどこで生きるかをえらぶ必要がありました。

 

孫としてはありがたい事に、ばあちゃんは私に帰って来てほしいと強く望んでいました。

幼い頃から母と一緒に私達を育ててくれたばあちゃんには

返しきれないほどの恩(おん)があり私もばあちゃんが大好きです。

お母さんが亡くなって一番心配だったのがばあちゃんでした。

他のみんなからも帰ってきて欲しいと言われていたし

私も今一番自由に動ける自分がそうするのが一番なんだろうと思い

最初は九州へ帰る道をえらびました。

 

でも

娘を亡くした母親と、母を亡くした娘。

どちらも自分が生きているのが精一杯で、元気をふりしぼってみたところで

お互いを支える力はまだあの時はありません。

でもその事が初めはわかっていませんでした。

 がんばれば、自分にもできると思っていました。

 

九州に戻ると決めたこの判断が正しいと思っているけど

なんだかこわくて自信がなくて涙が流れ続ける日々。

私は、父や兄、中学の時の先生、会社でたよりにしている上司等

きゃっかんてきに、

でも私と同じ目線で考えてくれる人に相談をしてみました。

言ってくれる言葉はみんな、

『あなたがあなたらしく生きていける場所で生きていってほしい』という内容のことでした。

 

私は最後には、自分らしく生きていける場所として関東をえらびました。

友達もいて、仕事もある自分の大好きな場所に戻って

まずは自分がもつ悲しい気持ちをいやしてあげる道をえらびました。

たぶん今まで生きてきた中でむずかしい選択(せんたく)でした。

それによって何かが起きても起きなくても、全部を受け止めようと決めました。

そのことで自分を責める気持ちもまた生まれました。

でも、父がくれた言葉が私を楽にしてくれました。

 

申し訳ないことに本当の両親がりこんしてからは、ばあちゃんはお前たちの親としていっしょに育ててくれたんだと思う。

だからこそお前が帰りたくてなやむのは当然ではあるけれど

当時はじいちゃんばあちゃんにはなんとかそれが出来る経済力も環境(かんきょう)も余裕(よゆう)もあった。

今のお前にそれがあるか。

環境を全部かえて仕事もまた新しく探して、これから歳(とし)をとっていくばあちゃんを支えられるだけの力が、今のお前にあるようには俺は思えんな。

 

ばあちゃんが本当につらい時に、お前を必要としてくれるのはありがたいこと。

それはお前がこれまでの短い人生の中でもちゃんとばあちゃん孝行(こうこう)ができたしるしなんよ。

おまえは、孫としての最大の役目はもう、ちゃんとできてるんよ。

あとは歳の順番どおり、大人たちにまかせなさい。

みんなそれぞれに、役目というものがあるんですよ。

 

あくまでもこれは私の場合なのですが

もしあの時実家に戻っていたら、私はもっと長い間、

もっといろんな事をかかえてなかなか元気にはなれなかったかもしれません。

今ほど沢山の人との輪(わ)が広がることもなかったと思います。 

 

ばあちゃんにはさみしい思いをさせてしまったけど、

私はばあちゃんと長電話できるよう通話し放題の携帯電話(けいたいでんわ)を作り

少しはなれた所から自分ができることをしました。

(当時も今も会社によりますが2,000円台でもLineやネットが使えない家の電話と通話し放題のプランがあります。今は格安sim等もありますし、もっとそれぞれにあったプランがあるかもしれません。 

私の場合は電話代を気にせずばあちゃんと話したいとずっと思っていましたが、約1年後くらいにようやくややこしい手続きをがんばって 2台持ち用のガラケーをdocomoで契約しました。何も気にせずばあちゃんの話を聞けるのは本当にありがたかったです。)

 

そして当時も今もおじさんやおばさんやいとこ達が、ばあちゃんを一番近くで支えてくれています。

色んな方達からのりかいや支えのおかげで、今はばあちゃんも私も元気に回復してきました。

そして私は年に3~4回ですが飛行機に乗ってばあちゃんに会いに帰ります。

私はすごく運が良かったのかもしれません。

そしてすごく理解のある親族と相談にのってくれた人達に恵まれたのが一番の救いでした。

これでよかったんだと、これからまたばあちゃんのために出来ることを探していこうと

今は思えるようになりました。

 

大事なことが2つあって比べられない時に

自分の出来るなかで、一番大事なことをえらぶのはとてもむずかしい。

そんな時は自分と同じ目線で、自分の人生のことをいっしょに考えてくれる大人に相談をして、

一番自分の心を大事にしてあげる道をえらんでいいんだと、数年かかって学んだ出来事でした。