みんながいる。大丈夫。

Dance with Grief

2014年に母をじしで亡くしてからの、娘の話。実験だったり、冒険だったり、メンタルが強かったり激よわだったりする話。

5年前の今日の自分

あれから5年、おかげさまで私はまた今も本当によく笑っています。

今は今で苦しいこともありよく泣きますが、あの頃はまだあまり知らなかったこと・・

うまく言葉にできないですが、生きて行く中での大きな安心感をたくさんの人たちからもらっているように思います。

 

どうあがいても信じられないようなことは起こってしまうし、

逆に、その時は信じられないようなことも起こせるものなんだなぁとみんなの力を借りて今ぼんやり思います。

-------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

2019.8.5「今日でアイコンの写真をとった日からちょうど5年が経ちました」

そんな感じで今日スマホの機能がお知らせしてくれました。

 

アイコンの写真は私がそれまでの人生の長い恋愛依存(れんあいいぞん:彼氏が一番体質)から抜けて、ちょうど自分を取り戻し始めた頃。

職場の女友だちの何人かと休みを合わせてマンガにのっていた朝食を食べに行った日に、立ちよった神社でとってもらった写真です。

その日の夜は浴衣に着替えてみんなで花火を見に行きました。

女性の輪に入るのが苦手だった自分が女友だちとこんなに気楽に1日中楽しめるようになるなんて!と

心から嬉しかった夏の長い一日でした。

 

その1ヵ月後の秋に私はお母さんを亡くしてしまい

よりいっそう、この時楽しく過ごしていた自分がうそみたいに遠く感じました。

 

お母さんを亡くした当時は、鏡の前に移る自分を見るのもつらくて

1ヶ月前の写真や思い出が鮮やか過ぎてすごく対象的でした。

 

もうあんなに楽しくて笑うことはこの先ないのかもしれないな。

なんだかこの先自分が笑っていいのかもわからないな。

 

そんな気持ちから何ヶ月が経ったのかは覚えていませんが、いつからか

「あの写真と同じようにいつかまた笑えるようになろう」

「どうせならあの頃も越えるくらい、また何かを楽しんでまた笑えるようになろう」

「きっとお母さんもそう望んでる」

「自分の笑った顔を絶対忘れずにいよう」

泣きながら悔しがりながらそう思うようになりました。

 

きっと当時から周りの人たちにたくさん助けてもらえたからなのだと思います。

私がそう決めた気持ちを一番に伝えたのは花火を一緒に見た職場の女友達でした。

 

5年前の今日の自分を越えたのかどうかのジャッジは、、

条件がちがいすぎて難しいので今は止めておきますが

あれから5年、おかげさまで私はまた今も本当によく笑っています。

今は今で苦しいこともありよく泣きますが、あの頃はまだあまり知らなかったこと・・

うまく言葉にできないですが、生きて行く中での大きな安心感をたくさんの人たちからもらっているように思います。

 

どうあがいても信じられないようなことは起こってしまうし、

逆に、その時は信じられないようなことも起こせるものなんだなぁとみんなの力を借りて今ぼんやり思います。

ありがとうの言葉では収まらない感謝の気持ちは、いつもどうやって言葉にしたらいいのかわからなくなりますが

明日も心ができるだけおだやかでいられる様に大事に過ごそうと思います。

 

ふぅ。まとまらないけどなんとか書けた。

なんとか今日中に書きたかった気持ちなので遅めの時間ですがUPします。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

 

前回の記事に関連していることがたくさん起こって気持ちはいろんなことにまた気づいたり、落ち込んだりもしていますが元気です。

前回の記事はむずかしい内容だからか、なかなかUPが続かずにいるだけです。

そしてJOJOの最終回、今だから見れる話でした。

OP最高でした。大好きです。

ではでは。