みんながいる。大丈夫。

Dance with Grief

私は今もこれからも、母とゆっくり手をつないでダンスする。居心地のいい場所だけを探し続けていくきろく。

うれし、はずかし②

『自分は弱い、できないことを大前提(だいぜんてい)に生きなくてももうそろそろ大丈夫じゃないか』

といわれた話の前回の記事の続きです。

 

私にとって自分は弱いということをみとめるのは、他の人に自分をひらくために、助けを求めたり誰かの手助けをありがたく受け取るためにとても必要な第一歩でした。

 

でもそれは家庭環境(かていかんきょう)も私の敏感(びんかん)さも強く影響(えいきょう)して、大人になっても強がって生きようとしていた私にとっては、すごく大きな覚悟(かくご)のいることでした。

 

生き方を変える大きな舵(かじ)だから、そりゃとても重いですよね。

 

そしてその弱さをみとめて生きる中にもきっとなんらかのステップがあって

私はきっとまたひとつそのステップを登れたのかもしれない。

自分が弱いという前提はあっていい。私の場合はきっとこのままあった方がいい。

でもまた少し余裕と体力が出てきたことでもう少し自信をもっていいのかな?

そしたら周りの人にももっとやさしくなれるのかな?

もしかしたら前にも感じたことかもしれないけど、

また二歩進んで一歩もどってを繰り返しながら、今考えています。

 

今年は、お母さんが亡くなって以来はじめて一人で年越しをします。

今年は実家に帰れなかったので、ある意味心の戦場と神殿が一緒になった場所に戻らなくていい、がんばらなくていい年越し。

散歩して、ステーキたべて、読書がしたい。

お風呂にもつかろう。

 

『私のだめな面、クズな面、たくさんの敏感(びんかん)さや複雑(ふくざつ)なところ、マイナスな面、遠慮(えんりょ)なく沢山ださせてくれて

それにあまりある私のいいところも沢山見てくれてありがとう』

 

と食パン君にふざけて伝えたら

 

『そういうことなんだろうね』

とめずらしくまじめな顔をしていました。

さんきゅーね。

 

そしてこれはおふざけなしに、

今年も寄り添ってくれる方全員に『色々やらかしちゃってごめんね、でもいつも見守っていてくれて本当に助かっています。ありがとうございます』と改めて伝えたい一年でした。

 

このブログに通ってくださっているみなさん、時々心配のメッセージを下さる方達も、いつも本当にありがとうございます。

みなさんの来年がおだやかな年でありますように。

 

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