みんながいる。大丈夫。

Dance with Grief

2014年に母をじしで亡くしてからの、娘の話。実験だったり、冒険だったり、メンタルが強かったり激よわだったりする話。

『じしいぞく』という言葉を使うまでの私の葛藤(かっとう)①

【長い記事なので分けました。こんな内容】

今はとりあえず自分を『じしいぞく』だとカテゴライズしておいてもいい。

 

そうする事で受けられるサポートがあるのなら。

 

そしてまた少しずつ生きる力が戻ってきたら、自分次第で自分のカテゴリーはどうにでも変えてしまえばいい。

 

そう考えて、私はこの言葉をお借りしています。

 

そしてLGBTQ+の方達や、パラスポーツ等で活躍する方達からは、どん底にいた当時も今の私にも夢と夢をかなえていく力を現実的なものとして教えて頂いています。

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はじめに、これは誰かや何かに対する非難(ひなん)や批判(ひはん)でも提案(ていあん)でもありません😌

 

単純に、私がどうしてひらがなで『じしいぞく』という言葉を使うようになったのか、そこまでの葛藤(かっとう)などを書いてみました。

 

twitterで『じしいぞく』とひらがな検索すると私のブログを含め数件がヒットします。

 

(迷いましたが、ハッシュタグには検索用に漢字での表記をいれることもあります。2020年3月現在)

 

そして漢字で『じしいぞく』といれると沢山のツイートがヒットします。

 

今はようやく慣れたけど、私はこの漢字4文字が得意ではありません。

 

それに関わる漢字の言葉も、

 

目に入れるのもいまだにハッとするので出来るだけ使いたくありません。

 

それは当時まだ何も受け入れることが出来なかった私が傷つくすべてが詰まった言葉で、

 

私以外の人に私が何者かをわかりやすく示す為の、外向けの言葉だと今も思っています。

 

だけど、検索結果でも分かる通り認知(にんち)もされていて

 

この言葉だけで、自分が持つ複雑さがすぐに相手にも伝わる。

 

そしてとりあえずこの言葉を受け入れてしまえば、Twitterや分かち合いの会なども含め自分にもたくさんの居場所や仲間、知識が増えることもあるので

 

めぐりめぐって、今の場所からたすけてくれる言葉でした。

 

だけどすんごい重いもの、世間に向けての肩書きみたいなもの

 

なんだかこの言葉を一度受け入れてしまうと、もう一生はがれない鉄のステッカーを自分に貼る事になるのではないか?

 

もう戻れなくなるのではないか?という様な重くて苦しいイメージを当時の私は持ち、この言葉の前に立ちすくんでいました。

 

私は当時まだ、じしという言葉も、お母さんがしんでしまったということも

 

そのために自分たちが遺された人ということも、まだなにも理解できないでいました。

 

なんの心の準備もなかったからそれは当然のことでした。

 

続く。