みんながいる。大丈夫。

Dance with Grief

2014年に母をじしで亡くしてからの、娘の話。実験だったり、冒険だったり、メンタルが強かったり激よわだったりする話。

(4月に書いていた長い記事)ちゃんとサーフィン出来ているんだね

(これは今年の4月に書いていた記事です)

 

私の場合は

毎年3月から6月、そして母の命日がある秋は気持ちの波が大きく揺れる傾向があります。

 

去年もまた、一昨年よりも少し良かった。

それでも去年も何日かは部屋から出れず仕事に行けなかったり、

 

不安や悲しい感情をただ出し続け、感じ続けて、泣いてヘトヘトになってすごす日もありました。

 

去年の6月のある日は特にひどく不安になって、バディくんに電話で助けてもらったこともあったなぁ。

 

今日はその時の事をなんだか思い出しました。

 

私は去年の6月、こんな事を思って苦しくなっていました。

 

昔と比べて今の自分は、沢山の人と出会えて支え合っていられるから自分が保たれている。

 

でも

この先みんなが結婚したり、親や誰かが亡くなったりしたらどうしよう

 

男女年齢、関係なく沢山好きな人が出来て関わりがある今、

 

また色んな幸せを沢山知れた分、

 

今度はまた失っていくことがすごくこわい。

 

失うわけではなくても、

今とは違う将来がやって来た時、

 

私は今より年もとって、更年期障害とかも始まってたりしたら

 

この気持ちの弱さのまま、誰もいなくなった時に1人でやっていける気が全くしない。

 

将来のためにも敏感すぎて生きづらい自分を治療したい。

 

ふつうになるために薬が飲みたいと言って泣いていたのでした(*´ω`*)

 

今、客観的に考えても

 

その時の自分は視野がかなりせまくなっていて

 

良くも悪くも何かのスイッチが外れて

 

すべてのことが悲観的にしか考えられなくなっていた数日間だったんですね。

 

その時もバディ君はいつもと違う私の雰囲気を察して、

 

新幹線移動の合間合間に電話をくれていました。

 

『あなたが今まで薬や病院にほとんど頼らないで、お母さんの死後ここまで元気になって来れたのは、

 

沢山の人達に支えてもらえたことももちろんだけど、

 

きっと薬や病院以上に自分に合ったやり方を探して、仲間を見つけて居場所を作って来れたから。

 

自分が信じた道を進んであきらめなかったから。

 

目に見えなくても、自分は弱いと思っていても、下地は自分の中にちゃんと整ってる。

 

だからこれからまた色んなことが変わっても、きっとやっていける。

 

また失うことや、変わっていくことをそんなに恐れなくても大丈夫』

 

そんな風に、私が自分が泣いてた事を忘れるまで電話越しで寄り添っていてくれました。

 

私は無茶苦茶なのに、

 

バディくんは忍耐強い人です。

 

本当にびっくりしちゃう。

 

私は相当無茶苦茶なのに。

 

 

そしてその時にはじめて、

 

過去の母との複雑だった関係も、亡くなる2ヶ月前に和解する前までのずっとつらかった気持ちも

 

私は彼に伝える事ができたそうで

 

『数年間の中で、はじめて、そこの話をすることができたね。今まで絶対言わなかったもんね』

 

と、教えてくれました。

 

私は彼に根底の寂しさや恐怖心を知ってもらって

 

向き合ってもらえた時間があったことが宝だと思う。

 

自分が信じた道を進めたのは、

 

反対されたり力が足りなかったりいつも疲れた時やきつい時に

 

バディ君がいてくれたからだと思う。

 

ここまでが、今年の4月に書いていた記事です。

 

つい最近やってきた感情の大波に飲み込まれずにいられたことも、

 

バディ君と、その数ヶ月後に出来た彼女の事を心から嬉しく思うことが出来ているのも

 

きっと一年前、その前、そのずっと前の沢山の事があったから。

 

でも、もし万が一、誰かを亡くしたらと思うと

 

またそれはわからないし知りたくないけど、、

 

そんな風に、お互いのグリーフに寄り添いあえる関係性の人達とも、この5年間に沢山出会えている事が

 

今年のコロナ禍でさらに弱くなった時も

 

私の中にある希望のうちのひとつだと改めて思いました。

 

そして今日は小雨の中、

 

少し木が多い場所に傘をさして立ち寄ると雨の音が綺麗で、

 

しばらく一人で聴いていました。

 

去年の6月頃はまだ、少しの雨でも、悲しくなるから警戒していたけど

 

今年は何故か、

 

まだ気持ちが敏感な今だけど、

 

雨の音がやさしく心地よく感じました。