みんながいる。大丈夫。

Dance with Grief

2014年に母をじしで亡くしてからの、娘の話。実験だったり、冒険だったり、メンタルが強かったり激よわだったりする話。

5年目の終わりの私の今の感覚

(まだまだ不完全な人間が、自分を分析しようとしているだけの日記です)

 

最近、ますます色んな事が普通に出来る様になってきている気がします。

 

激しいツッコミのお笑いや、ちょっと傷つくお笑いもまた見る事が出来るようになったし

 

今まで避けていたくだらない(と思っていた)コンテンツや、怖い話の記事、

 

中田敦彦のYouTube大学的な激しい話し方のコンテンツ(古事記を見ました)も

 

気づけば自分で選んで見たり読んだり。

 

じしに関わる言葉も文字にも以前ほどの

 

ギュッとなる恐怖もショックもありません。

 

慣れもあるのかな。

 

以前は気持ちがかなり持っていかれるので

 

家の外で、または日中にしか読まないと決めていた

 

他のじしいぞくの方が書いた本や

 

じしや死にまつわる記事等もどこででも、夜でも読める様になりました。

 

ただ、他のじしいぞくの方のブログもですが

 

やっぱり今も読むのはしんどいので、

好んで読む事はできないのですが、

 

同じように苦しい中でも頑張っている人たちがいるということや

 

色んな感じ方や表現の仕方があっていいんだなということを教えてもらっています。

 

ニュースを見る時は

 

被害者にも加害者にも、その家族にも感情移入してしまう等も以前ほどではなくなり

 

テレビで普通に流れるようなコンテンツをこれまで見る事が出来なかったのが

 

自分が選んだ場合には、上手い具合に受け止めたり流したりが出来る様になって

 

その幅がさらに広がっていっている様に思います。

 

(コロナ関連の記事とかはどんどん読んでいっちゃうから逆に気をつけなきゃいけないくらい)

 

暴力的なシーンや音を見たり聞いたりすると

 

自分や自分の大事な人が暴力を受けている様な感覚があり、

 

これがものすごく苦しかったので

 

リハビリ以外ではずっと避けていましたが

 

去年の不意打ちの映画館ゴッドファーザーやジョジョのおかげ等もあって(?)

 

今はほぼなくなっています。

 

反対に、最初見た時は昔を思い出して泣いた

 

YouTubeのバイリンガルベイビーという優しい家族チャンネルも

 

気づけば単純に大好きで、こんな頃もあったなぁと楽しんでいます。

 

数年前からテレビのない生活をしていますが

自分で見るものを選べるHuluやネットや図書館やYouTubeがこれからもちょうどいいかな。

 

5年間で色々やってみたリハビリ(対物)のおかげなのか、それとも自然とこうなるものだったのかはわかりませんが

 

(もちろん人との関わりの中で沢山学ぶことができたリハビリは私の全てに影響している前提です)

 

見ることや聞くことが出来るもの、出来ること、どんどん変わってきた反面、

 

この5年間の得意技だった、想像で行きたい場所や思い出の中に浸れる感覚が

 

なんだか薄れてきちゃった様にも思います。

 

繊細さがだんだん薄れてきたのは

 

私にとっていいのか悪いのか、うーん、両方かなぁ。

 

感覚も、得たら失って失ったら得ての繰り返しなのかなぁと思っている今日この頃です。

 

自分には少し弱いくらいが、

人のありがたさが良くわかって

 

人にも自分にも優しくいられて

丁度いい気がするなぁ。