みんながいる。大丈夫。

Dance with Grief

2014年に母をじしで亡くしてからの、娘の話。実験だったり、冒険だったり、メンタルが強かったり激よわだったりする話。

改めて、グリーフケアってなんだろう

じしいぞく支援の方のブログの記事を読んだら、どんどんそのリアルな奮闘に引き込まれていって

 

結果すごい量の記事を読んでいる今です。

 

あぁ、私はじしいぞくだけど、

こういう方面からの話って全く知らなかったな。

 

国と支援団体や個人同士でも、こんなにもお互いの意見を日々出し合いながら

 

少しずつ積み上げて支援の仕組みが出来ていたり、そこからまた改変したり、

 

そのおかげで今があることはほんの少しだけは知っていたつもりでしたが

 

こんなに、人によっては孤独にみえるくらい、色んな現実と闘っている人もいるんだな。

 

今以上に偏見なども苦しかっただろう時代にじしいぞくになってしまっても

 

そこに在ってくれた人達や

 

声をあげ続けてくれる人たちのおかげで

 

その声を拾ってくれる研究者の方や支援者の方達のおかげで

 

あんな地獄の状態であっても

 

私は前の時代よりもまた守られていて。

 

と、改めて学ぶことの多いリアルな声を少しだけ、

 

また違った角度から垣間見た気がしました。

 

 

グリーフケアという言葉も、私はその言葉にたどり着けたからこそ、

 

今までボロボロだった私を誰かと結びつけてくれたり、

 

自分を大切にする過程を学ぶ事を助けてくれた言葉ですが

 

人にも場所にも、受け取り側(?)によっても、

 

グリーフケアという言葉は色々と感じ方もちがうんだなぁとも改めて感じました。

 

(じしいぞくという言葉に対して私が色々思うのにも似ているのかな)

 

私には

自分で思うには、

 

その時々の自分に合った最適の環境や人達の中で、

 

私に必要な形で

 

生死に関わるそれまでの自分の常識も全部、変えていくことだったり

 

探したり見つけたり、沢山失敗もしたり

それらを経験させてもらえたことを有り難いと思う今、

 

 

グリーフケアの団体の方達にすごくお世話になっていても

 

それを"ケアを受けている状態か"、と言われるとなんだかしっくりとはきません。

 

でもグリーフと共に生きる自分を

ただそのまま見守ってくれて、寄り添ってくれる人たちやそういった場所がある事が、

 

私にとってのケアにつながっているということはたしかで、

 

その場や人の温かさを今も心からありがたく思います。

 

グリーフを持つ自分をケア(?)していくのはきっと自分自身ではあるけど、

 

色んな自分にたどり着くまでを見守っていてくれる人たちがいるって

 

理解してくれる人がいるって

 

私にとっては本当に心強い。

 

似たようなことを二回言っている気がします。

 

言葉に表せない気持ちは沢山ありすぎるから、

 

言葉の意味について

 

人によってや、自分の時期によって、

 

少し解釈が違ったり、こんな事もあるよね。

 

と個人的に思うことでした。

 

言葉を知らない私が、言葉についてや気持ちを書いてみているので

 

当然うまく伝わる文章になっているとは思えませんが😂

 

そんなことを改めて考えているという雑記✏️