みんながいる。大丈夫。

Dance with Grief

2014年に母をじしで亡くしてからの、娘の話。実験だったり、冒険だったり、メンタルが強かったり激よわだったりする話。

私のいちばんこわいこと

って、

 

やっぱり

 

自分のせいで誰かに苦しい想いをさせてしまうこと。

 

自分のせいで誰かを亡くしてしまうんじゃないかということ。

 

だから、まだ日本ではまだそんなに騒がれていなかった

 

今年の一月の頃からコロナに警戒して

 

地元へ帰る飛行機もキャンセルしていました。

 

どんなことが起こり得るか、とことん考えて対策を取って、疲れて、

 

一つの判断ミスも起こしたくないと思って、疲れて、結果それでよかったことも、やり過ぎなことも沢山ですが

 

あの時こうしていれば。っていう後悔をもうしたくない。

 

この気持ちが私の行動力にもつながっていると思いますが、

 

私の生きづらさの原点の様な気もします。

 

でもこの数週間、

 

自費でPCR検査を受けて(陰性!)

 

職場の方達は驚くほどの前例を作ってくれて(どこでも仕事が続けられるように)

 

不動産屋さんも短い期間に沢山手続きややり取り、ものすごく頑張ってくれました。

 

(1週間ちょっとで物件契約)

 

今日から地元と関東で数ヶ月、二拠点生活が始まります。

 

まずは二週間、自主隔離。

 

そのためにも退院した祖母とおじさんの近くに部屋を借りました。

 

何度も迷っておじさんとも話し合いました。

 

持病があるおじさんの近くに私が帰ることで、もし何かがあったら。

 

もし偽陰性でコロナをうつしてしまったら?

 

私はそれが一番こわい。

 

でもおじさんは、

 

『もし何かあったとしても、別にいい』

 

『そんなことまっったく考えなくていい』

 

『何も心配しなくていい。持病が先かコロナが先か、そんなにたいした違いはない』

 

『交通事故に遭わないために、家に引きこもっていても仕方がないのと同じだよ』

 

と話してくれました。

 

祖母の介護のためにも人手が必要で

 

私も祖母やおじさんの近くで手伝いたい。

 

でも

 

これが正しいのかわからないと言う私に兄は

 

『正しい』

 

『やれること全部やって、

 

正しいことをしようとしてる時に

 

コロナになったり、させたりしないよ』

 

兄なりの優しさですね。

 

なってしまった時の事はもう沢山考えたから

 

あとは、もう信じて、どんな結果も受け止めていこうか。

 

そんなこんなで、いろんな気持ちを整えて

 

今日は引っ越しの日です。

 

いつも、いちばんこわいことに向かっていくのは

 

こんなにこわくて涙が出るなぁ。

 

でも自分で決めたこと。

 

私がそうしたくて決めたこと。

 

自分のために時間を使わせてもらって、

 

6年が経ちました。

 

この時間をもらえたから、今の自分がいるって思える

 

とても大事な6年でした。

 

 

ここからまた、いい時間を過ごそう。

 

まずは数ヶ月、冬をみんなで乗り切って。

 

そのためにも

 

お母さんじいちゃんおばちゃん、みんなを守っていてね。