母が亡くなって後1ヶ月ほどで7年になります。
母が亡くなって以来、沢山の方に支えて頂きながら
『とりあえず○○するまでは』と何かにつけて生きてみてきました。
今の私の気持ちの面もまたどんどん変化していっている事をまた書いてみようと思います。
去年やその前にも感じていたこと、書いていたことと重なる部分があれば
年輪のように同じ部分の外側に、
一回り大きな丸が増えた様な感覚です。
【自然になってきたこと】
○今は自然と母の写真を祖父や叔母のものと一緒に飾れるようになっていること。
(数年ずっと、母の写真を飾れなくなり、代わりにポーズがそっくりの可愛いシーサーの絵を母に見立てていました)
○目を閉じて、目の奥に何も映らない状態で
前よりもずっとまっさらな気持ちになってきて
仏壇や神棚にお祈りができるようになっていること。
数年前はずっとこれができなくて
脳の中も気持ちの中も混沌と雑念だらけ、
心でずっと自分を傷つけていて
地獄の中からなんとか祈っている感じでした。
だからお祈りの場所も私にとっては本当に苦しい時もありましたが
今は静かにお祈りが出来る様に、自然となってきました。
○朝起きた時の絶望感も焦燥感や不安も、今は不思議なくらいにありません。
今の環境(家族が近くにいる)も大きく影響しているとは思いますが…。
朝起きてすぐに音楽をつけなくても
誰かの声を聞かなくても
自然と1日が始まるように気がつけばなってきていてます。
他にも沢山ありますがとりあえず今はこの辺で。
【あれ?と思うこと】
○良くも悪くも、ショックを忘れてきていること。
→自分はすごく楽になってきましたが、人に対して配慮が欠けてしまうことがあります。
○一瞬ごとの感情に振り回されることが減ってきたこと。
→遠かった普通の生活、心が激しく動きすぎない生活になってきた感覚があります。
その分、一瞬ごとのありがたさや悲しみにも鈍感になってきている感覚があります。
それでも何も経験していなかった頃の自分よりはずっと敏感で、
しっかり弱い部分もあるということがわかります。
●じしいぞくという言葉にも漢字表記にも、もっといえば
知らない人の死に関するニュースやその事に対してもあまり強いショックや拒否反応が出なくなりました。
(今でもニュースや報道とは一定の距離を保ちますが…)
フィクション物も、痛みや悲しみにも感情移入はあまりしなくなってきました。
もちろん時やものによりますが。
結論として
あんまり色んなこと、気にしすぎなくても大丈夫になってきた。
でも忘れたくない気持ちも沢山あるので
ヘンゼルとグレーテルのパンの様に
こんな時聴いた曲、あの時聴けなくてこういう気持ちになった曲、など
色んな時の気持ちが私にとって一番鮮明に蘇る曲を、心が求める時に聴いています。
辛くもあるけど、忘れたくもない気持ちは沢山あるからなぁ。
長くなったので今はこの辺で。