みんながいる。大丈夫。

Dance with Grief

2014年に母をじしで亡くしてからの、娘の話。実験だったり、冒険だったり、メンタルが強かったり激よわだったりする話。

言葉

これは私が自分に対してずっと思っていることですが

 

母をじしで亡くしてからより一層、考えていることと、口から出る言葉が合わない時があります。

 

自分のグリーフについて話す時はもちろん、こうやって文章に書き起こす時でも

 

言葉が下手すぎて足りなすぎて、

 

後になって「あれ?全然真逆の意味になってる」と思うこともよくあります。

 

 

心の中にある気持ちのエネルギーが大きすぎたり

 

その他の理由も手伝ってなのか

 

出力がうまくいかない。

 

母のことも自分のことも誤解されちゃったかな?と勝手に傷ついて

 

また話せない理由が増える。

 

 

時々、かなりサイコパスなことを言ってしまって

 

後で気づいて泣いたことも数知れずです。

 

そんなループが今も少し残っています。

 

 

こういう自分自身から、自分が学べることがあるとしたら

 

一つの言葉の裏にいくつもいくつも感情があって

 

その人がようやく紡ぎ出したものなのかも知れないから

 

簡単にこちらの解釈で決めつけるようなことはしないようにしたい。

 

ということなのかも知れません。

 

最近では良くも悪くも鈍感になってきているから、改めての自戒。

 

 

何年も前の私自身のサイコパス発言も忘れられないけど

 

それを聞いて否定も肯定もせずにいてくれた人たちのことも

 

何年も前のことなのに忘れられません。