みんながいる。大丈夫。

Dance with Grief

2014年に母をじしで亡くしてからの、娘の話。実験だったり、冒険だったり、メンタルが強かったり激よわだったりする話。

怒り下手なりに怒った日

リハビリとも思っている社会的な人間関係の中で、特定のことに小さなイライラがこの数年で積もり積もってきたのか

 

今日は他人に対して久しぶりに怒った日でした。

 

あの言い方でよかったのかとか、そろそろ言ってよかったんだよなとか

 

いろんな感情を思い出しては交錯する夜です。

 

とてもちっぽけなことなのですが。

 

社会の中で人に対して負の感情を出すことはまだまだ慣れず

 

いまだに必要以上のエネルギーを消費する上、相手に伝えることもとても難しく感じます。

 

笑っちゃうくらいめちゃくちゃ不器用。。。

 

でも多分3年前や半年前に同じコミュニティで少し拗れた時のように

 

「たとえば私が怒りを出したことで、相手の最後のスイッチを押しちゃってもし死なせてしまったら?」

 

という様な恐れは今回なかったのかな。

 

言って嫌われてもいいと思っている反面、相手を信頼している部分が大きいのも要因かもしれませんが。

 

そして今救急車の音に敏感になって怖さを感じる自分もいますが。

 

こんなに一つ一つ慎重になるなんて、母が亡くなる前は、上司に対しても直接抗議をしていた自分が懐かしいです。

 

(家族以外で食パン君には容赦なく怒る自分も出せる様になっているのは、彼の人柄と忍耐のおかげかもしれません。これは本当に感謝)

 

 

そんな今日は思い出しイライラや不安が久々に大きいので食パン君と、よく行く町中華に行ってきました。

 

「リモートが終わってオフィスに戻ったら、服は7着は必要だろう」という彼の話から

 

「いやいや洗濯するから3着で充分だろう」という私の意見。

 

「でも、実際部屋中の服をかき集めたら7着くらいできる」

 

「結婚式に着て行くようなドレスも含めたらいける」

 

みたいな会話をし、イメージをして笑って過ごしました。

 

くだらないなぁw

 

 

でも、時間が経ってもこの事で思い出し笑いをしている間は、私の場合、思い出し怒りも不安も悲しさもどこかに行ってくれます。

 

母を亡くした直後はよりこの感覚が顕著で、いつも脳と心が少しだけふわっと楽になりました。

 

私には思い出して感情に繋がる直通回線は1本しかないのかもしれません。

 

今日もそう。きっと相手も大丈夫。

 

怒っちゃった相手には自分を整えてもう一度ちゃんと話そうと思います。