みんながいる。大丈夫。

Dance with Grief

2014年に母をじしで亡くしてからの、娘の話。実験だったり、冒険だったり、メンタルが強かったり激よわだったりする話。

重い感情。京本に母を重ねる

ルックバックという映画を観た。

 

結論から言うと、今はもうボロボロで頭がいたい。

 

衝撃的な事件とか、大好きな人との別れとか

そういう所ではなくて

 

もっと序盤、

京本という女の子が登場した瞬間から

普段は思い出すことも少なくなっていた精神状態がひどく悪い状態の時の、母の事を沢山思い出した。

沢山哀しい思いをさせてしまった事も一緒に。

 

 

映画の中の京本はとても不器用で、ピュアで可愛いらしい。

 

そして藤野の事が大好きで、絵が大好きで、時々すごく嬉しそうに笑う。

一生懸命生きている。

 

引きこもりで不登校ではあるけど、京本は病気ではない。

 

不器用で、ピュアで、一生懸命生きている。

何かを一生懸命伝えようとしている。

 

多分そんなところが、数年おきに、全く眠れなくなり言葉もでなくなり、幼い女の子のように祖母の後ろに隠れる母の姿に何か重なったのだと思う。

 

私が高校から家に帰ると

母が突然、朝とは全く人が変わってしまっていて

 

『あぁ、また始まったんだ』

 

と思いながら私は洗面所へ手を洗いに行く。

 

母が私の方に、とある事をしながらやってくる。

祖母がそんな母を止める。

私は驚く。

そしてわかっていても絶望的になり、その場で固まる。

 

私は二人を尻目に急いで部屋に入り内鍵をかける。

 

部屋のドアを叩いて騒ぐ母と、それを止めようとする祖母が静かになるのを待つ。

 

1週間か、2週間、いつ母が亡くなってもおかしくないような、休まることのない時間が続く。

 

最悪の事態を避けることができるようにだけ考えていた。

母のペースに乗せられないこと。

自分を押さえきれなくなりそうになったら、何も言い返さず、行動せず、離れること。

できなくてもいいから、意識すること。

一つだけ間違えなければいい。

一番大事なことだけ。

 

その間、私たちは何を食べてどう暮らしていたのかあまりよく覚えていない。

 

母は私に一緒に悲しんで欲しいのか、一緒に死ぬほど苦しんで欲しいのか、

いつかまたこうなるとわかっていて普段から母と距離をとる私を、元の自分の娘に戻したいのか、その全部かわからない。

 

ただ、この状態になった時の母は、心の中の全ての殻を無くしたように

本当に幼くなる。

とても純粋で傷つきやすい、本来の母の人間性でもあるのかなと思う。

 

当時学生だった私にはそうなった時の母の、理性や自立性を無くした姿が恐ろしく、他のことも相まって生理的に嫌だった。

早く元の母に戻って欲しかった。

 

でも今思うとそんな姿が、映画の中で純粋に笑う京本と重なるほど、何故かとても美しくもあり、同時に、言葉にならないくらいに哀しいから、今日はまたしんどくなったのかもしれない。

 

もう母のそんな姿を見ることはない事に、ほっとしている自分もいる。

もう母に縛られることはない事にも。

 

こういう事を思ってはいけない、口に出してもいけない。

長い間そう思っていた。

 

そして学生だった自分には、いつもどうしたらいいのかわからなかった。

誰にも助けを求めてはいけないと思っていた。

 

もっと早く亡くなるタイミングが来てもおかしくなかったはずのに、母は私と和解するまで生きていてくれた。

 

短い遺書には私に関することだけが書かれていて、お祝いの時用の着物が部屋の隅に置かれていた。

 

兄に申し訳ない。

 

今の母はもう、何もかも、苦しみから解放されているはずだから

いつかまた会えた時、嬉しそうに笑ってもらえるように私は生きたいと思っている。

 

本当にこんなことが実際に起きたのかも、なんだかわからなくなってきた。

10年経っても、私は母への気持ちを正確に表す言葉がわからない。

 

ただ、全部の気持ちの奥になんだかとても深い何かがあるから、言葉の全てが、それに足りないのだとも思う。

 

Queenの『I was born to love you』の後半に、

私は以前ひどく泣いた。

 

『I wanna love you』と何度も何度も歌うところ。

 

言葉にはできなくても、心が反応して痛いくらいに思い知らされる。

 

水分を摂って少し休んで、明日になったら消すかもしれないブログ記事。