人は愛情のコアな部分に近づいたり触れたり、見たり聞いたり想像したりするとこんなに涙が出たり、感情が揺らぐ。時々生死にも関わっていく。
じゃあやっぱり生き物として、核になっている部分は身体でも脳でもなくて、
愛情なのかなぁとか今朝ぼんやり考えていた。
母と死別した自分の中に遺っているものは、母の愛情。
どんな亡くなり方も、生き方も関係なく、最後に人は愛情だけになる。
11年前から考えあぐねたスーパーシンプルナイズ自論。
「自死した人は成仏できない」等は、自死予防のための啓蒙的なイメージだと思うのだけど、それ以上を考えたことがなかった私は母方の宗教に大変苦しんだ。
きっと母は向こうでも苦しんでいるからお経をあげるようにと言われて、泣きながらお経の文字を目で追った。
母が亡くなった後、苦しむ母の悪夢ばかり見た。
人は人を生かさないといけないから、苦肉の策で誰かが言い出したことなのかも知れない。
その苦肉の策によって生きていけなくなりそうなほど苦しむ人は私以外にも多いと思う。
誰が悪いというわけでもなく、誰も知らない事だから仕方がないのかもしれない。
私の古い顕微鏡の中の、微生物たちももしかしたら
何でもわかっているつもりになっているのかもしれないなぁと思う。
数年前、石垣の沖合で水深40〜50メートルの世界に潜った。
空気と水の境を超えただけで、全く違う。
知らない世界がこんなにもある。
わかっているつもりでも、私たちは何も知らないから
私はこれからも好きにイメージしようと思う。
世の中の大多数の人達に別に意見なんかない。
ただそう思っているだけ。