みんながいる。大丈夫。

Dance with Grief

2014年に母をじしで亡くしてからの、娘の話。実験だったり、冒険だったり、メンタルが強かったり激よわだったりする話。

悪夢で目覚めた真夜中に。

昨日悪い夢を見た。

 

久しぶりに激しい動悸で目が覚めた。

 

起き上がって冷たい水を飲む。

 

ブラインドを少し開けて遠くを見る。

 

息を吸って吐いてを繰り返す。

 

遠くの高層ビルの赤いライトを見る。

 

大丈夫。大丈夫と言っていた。

 

 

真夜中も消えない小さな赤いライトを見ると少し落ち着く事を覚えてから

 

あのライトは私の大事なお守りのひとつになった。

 

スマホでお気に入りの物件サイトを見る。

 

違う世界に没入し続けていたら、

 

タイにいる食パンまんからLINEの返信が来た。

 

「起きてる?」と私は送っていたのに

 

「おしてるよ」と書かれている。

 

? 

 

そっか、おしてるんだ。と少し笑う。

 

なんでもないのだけど、タイの物件事情を教えてもらいながら

また少しずつ大丈夫になっていく。

 

夜更かしな人や、時差2時間の友達は、繋がってくれるだけでヒーローですね。

自死遺族が笑って生きる姿は、誰かの自死の抑止力になるのか

ただタイトルの部分を考えるとすると、

これから自死を考える方にとっては、その姿って、あまり抑止力にならないのではないかなと思う時がある。

 

抑止力という言葉が合うかどうかもよくわからないのだけれど。。。

 

誰かを自死で亡くした後はどうしようもなく生きるのが辛く、地獄だということをストレートに伝えられた方が

遺された人がどういう人生を送ることになるかがわかるから、

今自死を考えている方も、ハッとして今日は考えを改めよう。と思う方はきっといらっしゃると思う。

 

そういう方にとって、今、私みたいな表現をする人は。。

 

表面だけを見られると、むしろ希死念慮を増長させてしまう可能性もあるのではないか、という私なりの恐れや懸念や不安がずっとある。

 

でも、自死で誰かを亡くした方にとっては、

こんな時代になってきたんだ。とか

今日は後追いをやめてもいいかな、と思う一瞬にほんの少しだけ、なり得るのかもしれないと思う時がある。

 

一人ではないと思えることは、命を長らえてくれる時もあると思うから。

 

こんなことをもう何年も考えている。

 

私が死なずに来れている理由の一つは

一番辛い時には死なないで、一生懸命生き切ってくれた母の姿を見せてもらっているから。

 

自死といっても考えれば考えるほど、人柄や人生が現れる物だなと思う。

 

誤解を恐れずに言っていいのなら、

自死は、全てが逃げではなくて、全てが追い込まれた末だけでもなくて

母の場合は

最後の大きな自由で、愛情で、遺る人への信頼でもあるのかもしれないなぁと、

思慮の浅い私は思っています。

小さなvlogを始めて1年が経ちました。

動画は5月に撮っていたもの。

私生活での2ヶ月間の修行(私にとっては1年で一番忙しい時期)を終えて、先ほど更新。

 

ちょうど、はてなブログから1年前の記事のお知らせが届いた。

その記事のタイトルが、「小さなVlogはじめました」

 

そっか、ちょうど1年なんだ。

 

私にできないできない、と苦しくなってもがいていたのだけど

やっぱり、、ちゃんと時期ってあるのかも知れない。

 

これも何かの手のひらの上だと思っていたいなぁ。

 

しっかりメイクをし、何となく社会的な自分で撮って

自分で、頬骨の辺りが少し母に似ていると思った。

今回はこれがちょうどよかった。

 

お暇な時みていってくれたら嬉しいです。

youtu.be

戒めよりも、愛情を。今は。

人は愛情のコアな部分に近づいたり触れたり、見たり聞いたり想像したりするとこんなに涙が出たり、感情が揺らぐ。時々生死にも関わっていく。

 

じゃあやっぱり生き物として、核になっている部分は身体でも脳でもなくて、

愛情なのかなぁとか今朝ぼんやり考えていた。

 

母と死別した自分の中に遺っているものは、母の愛情。

どんな亡くなり方も、生き方も関係なく、最後に人は愛情だけになる。

11年前から考えあぐねたスーパーシンプルナイズ自論。

 

「自死した人は成仏できない」等は、自死予防のための啓蒙的なイメージだと思うのだけど、それ以上を考えたことがなかった私は母方の宗教に大変苦しんだ。

 

きっと母は向こうでも苦しんでいるからお経をあげるようにと言われて、泣きながらお経の文字を目で追った。

母が亡くなった後、苦しむ母の悪夢ばかり見た。

 

人は人を生かさないといけないから、苦肉の策で誰かが言い出したことなのかも知れない。

その苦肉の策によって生きていけなくなりそうなほど苦しむ人は私以外にも多いと思う。

 

誰が悪いというわけでもなく、誰も知らない事だから仕方がないのかもしれない。

 

私の古い顕微鏡の中の、微生物たちももしかしたら

何でもわかっているつもりになっているのかもしれないなぁと思う。

 

数年前、石垣の沖合で水深40〜50メートルの世界に潜った。

空気と水の境を超えただけで、全く違う。

知らない世界がこんなにもある。

 

わかっているつもりでも、私たちは何も知らないから

私はこれからも好きにイメージしようと思う。

 

世の中の大多数の人達に別に意見なんかない。

ただそう思っているだけ。

小さなvlogを更新しました。

2ヶ月に1度ずつ更新するという、、

 

夏に撮った動画の続きだから、まだ半袖パジャマに謎の前髪アップをしているままという。。

 

youtu.be

 

でも3回目の更新となり、少しだけ楽に公開ボタンが押せるようになってきた。

 

そこに至るまでが苦しさと難しさと怖さの連続ではあるけれど。

 

今日はどんな感情も大丈夫なんだと、他の方達の動画を見て改めて学んだ。

 

完ぺきじゃなくていい。

 

未完成の自分のままでいい。

 

怖いままでいい。

 

沢山勇気をもらった。

 

これは、今が今だからきっとできること。

 

 

『今しか着れない服ってあるんよ』

 

『今しかできない事を、沢山したらいいよ』

 

母がいつも言っていた言葉。

 

 

『シミを隠したほうがいいよ』

 

この前夢の中で母に言われた言葉。。笑