みんながいる。大丈夫。

Dance with Grief

2014年に母をじしで亡くしてからの、娘の話。実験だったり、冒険だったり、メンタルが強かったり激よわだったりする話。

また火の鳥ループが起きたっていう長い話

今朝はなんだか引き続きしんどくて、ますます何もできない自分がすごく無力に感じて

 

自己肯定感が落ちるところまで落ちて

 

なんか生きていてもしょーがないよなぁ。と一瞬、本当に一瞬思うくらい苦しくなっていました。

 

あれ?つい最近、『普通の生活に戻りつつある』って実感していたのに!

 

極端すぎる自分においおい、と少し笑いましたが

 

でも何か

 

例えば朝に果物を切って用意するのにも

 

麦茶を飲むのにも

 

『疲れた』『疲れたよぉ何もしてないのに』と独り言が出ていました。

 

振り返れば私は多分、

 

自分の気持ちが普通の生活に戻りつつある事を感じながら

 

色々なことに心が鈍感になっていくのを感じながら

 

父や叔母たちが近くにいる安心感に慣れながら

 

ある程度のことは出来る様になって

 

もう大丈夫だからと思いすぎて

 

大事な人をここ数ヶ月で2人も亡くしてしまったのに

 

それにしては自分を気遣ったり大事にする時間が今までより減っていることに

 

あまり気がついていなかったかもしれません。

 

うーん?どうなんだろ。

 

これは多分、じしいぞくと、そうじゃない人の間くらいの(?)リスク管理をしておく段階なのかもしれないぞ。

 

自分にはもう何も出来ないから生きててもしょうがないと思ったのは、本当にふらっと思った感じだったので

 

あ、と気づいた後、しんどい時に今までやっていた様に紙に今日一日やることをとりあえず書いて

 

『よしよし』といいながら

一つずつやっていき

 

お風呂の栓を垂らしただけでも『よしよし』と自分を褒め

 

リストの全部はできなかったけど一番大事なこと2つはちゃんと出来たと

 

最後には今日一日無事に生活できた自分を褒めました。

 

そして深夜になって、鏡の前で沢山音楽を聴いて、踊って、泣いて、沢山泣いて

 

涙が沢山出た自分の顔を見て

 

またゆっくり自分が本来の自分に戻った様な

 

途中、亡くなった人達から、見守ってるよと声をかけてもらえた様な

 

心が本当に落ち着くところを見つけた様な気持ちになりました。

 

これは1日の中で起きた気持ちの波です。

 

 

(これでも)穏やかに、なったなぁ。

 

数年前はこの工程をもっとずっと長く繰り返していたなぁ。

 

何日間も苦しんで起き上がれない状態から、のスタートで

 

落ちるところは深く暗く酷く、そしてその期間も長くて

 

気持ちが落ち着くところはもっとずっと遠く、高かった。

 

今はこれを数日でやってるみたいです。

 

ずっと軽くはなったけど、やっぱり自分の気持ちを過信しすぎたら時々痛い目にあうのは

 

じしいぞくじゃなくても、私じゃなくても誰でもそうなのかもしれませんね。

 

私はこのループが、自分を自分で燃やし尽くしてまた産まれるような感覚から『火の鳥ループ』と勝手に呼んでいます。

 

(不死鳥ループともいいます)

 

夜中の3時になったのに今も涙が止まらないけど

 

今日はいつまでも泣いてもいいことにしよう。

 

火の鳥ループは、いつでも出口がちゃんとあるからね。

おじのこと。

先日、がんで闘病を続けていたおじが亡くなったと連絡を受けました。

 

自分の中ではもう受け止めているつもりですが

 

長く続く雨と、体調不良とホルモンの関係も重なって

 

今はまだ自分の気持ちの面がついていかない部分があるみたいです。

 

がんで亡くなったおじと、自死で亡くなった母(おじの姉)の亡くなり方の違いはやっぱり大きいと思いますが

 

違いがある分だけ、違う辛さがあるものだなぁとこの1年を通じて改めて感じました。

 

さて、おじが亡くなったことを

 

認知症がひどくなってきて介護施設に入っている祖母に私達はどう伝えるべきか…。

 

おじから、祖母には自分ががんである事を私達からは言わない様に言われていたので

 

あまりこれまでの過程を知らない祖母。

 

でも母親だから、何となくは気がついている様な気もしています。

 

3人の子どものうち、2人が自分よりも先に亡くなったことを

 

今祖母が受け止められるのかわかりません。

 

うーん。

 

こういう時は、認知症が上手く作用して

 

悲しみを紛らわせてくれたらいいのになぁと思います。

約7年目の気持ちの変化

母が亡くなって後1ヶ月ほどで7年になります。

 

母が亡くなって以来、沢山の方に支えて頂きながら

『とりあえず○○するまでは』と何かにつけて生きてみてきました。

 

今の私の気持ちの面もまたどんどん変化していっている事をまた書いてみようと思います。

 

去年やその前にも感じていたこと、書いていたことと重なる部分があれば

 

年輪のように同じ部分の外側に、

一回り大きな丸が増えた様な感覚です。

 

【自然になってきたこと】

 

○今は自然と母の写真を祖父や叔母のものと一緒に飾れるようになっていること。

 

(数年ずっと、母の写真を飾れなくなり、代わりにポーズがそっくりの可愛いシーサーの絵を母に見立てていました)

 

○目を閉じて、目の奥に何も映らない状態で

 

前よりもずっとまっさらな気持ちになってきて

 

仏壇や神棚にお祈りができるようになっていること。

 

数年前はずっとこれができなくて

 

脳の中も気持ちの中も混沌と雑念だらけ、

 

心でずっと自分を傷つけていて

 

地獄の中からなんとか祈っている感じでした。

 

だからお祈りの場所も私にとっては本当に苦しい時もありましたが

 

今は静かにお祈りが出来る様に、自然となってきました。

 

○朝起きた時の絶望感も焦燥感や不安も、今は不思議なくらいにありません。

 

今の環境(家族が近くにいる)も大きく影響しているとは思いますが…。

 

朝起きてすぐに音楽をつけなくても

 

誰かの声を聞かなくても

 

自然と1日が始まるように気がつけばなってきていてます。

 

他にも沢山ありますがとりあえず今はこの辺で。

 

【あれ?と思うこと】

 

○良くも悪くも、ショックを忘れてきていること。

→自分はすごく楽になってきましたが、人に対して配慮が欠けてしまうことがあります。

 

○一瞬ごとの感情に振り回されることが減ってきたこと。

 

→遠かった普通の生活、心が激しく動きすぎない生活になってきた感覚があります。

 

その分、一瞬ごとのありがたさや悲しみにも鈍感になってきている感覚があります。

 

それでも何も経験していなかった頃の自分よりはずっと敏感で、

しっかり弱い部分もあるということがわかります。

 

●じしいぞくという言葉にも漢字表記にも、もっといえば

知らない人の死に関するニュースやその事に対してもあまり強いショックや拒否反応が出なくなりました。

 

(今でもニュースや報道とは一定の距離を保ちますが…)

 

フィクション物も、痛みや悲しみにも感情移入はあまりしなくなってきました。

 

もちろん時やものによりますが。

 

結論として

 

あんまり色んなこと、気にしすぎなくても大丈夫になってきた。

 

でも忘れたくない気持ちも沢山あるので

 

ヘンゼルとグレーテルのパンの様に

 

こんな時聴いた曲、あの時聴けなくてこういう気持ちになった曲、など

 

色んな時の気持ちが私にとって一番鮮明に蘇る曲を、心が求める時に聴いています。

 

辛くもあるけど、忘れたくもない気持ちは沢山あるからなぁ。

 

長くなったので今はこの辺で。

父の誕生日を一緒に過ごすということ

今日は父の誕生日だったので父と一緒にランチとお茶をしてきました。

 

とてもいい一日でした。

 

最近はほぼ父と一緒にいるので

 

誕生日とはいえ今日もとても自然に過ぎた1日でした。

 

でも考えてみたら、父の誕生日を一緒に過ごせたのは

 

私が9歳くらいの頃両親が離婚して以来、じゃないのかな?

 

と今気がつきました。

 

両親の離婚後、子どもの頃は兄と私は母と一緒に暮らしていたので

 

父の誕生日におめでとうとメールはしても

 

当日を一緒に過ごしたことはありません。

 

 

 

父は今日一日中、なんだかそわそわしていて

 

『今日は運転に自信がない』など言っていました。

 

あんまりナイーブな方ではない父ですが

 

もしかしたら何か思ってたのかな?

 

うん

 

なににしても

 

一緒に過ごせて、これが自然になっていることが嬉しいと思いました。

 

いろんな形に変わった家族関係ですが

 

なんだか離婚とか母の生とか死とかも色々飛び越えて

 

私達はこういう家族。

 

私にとっては昔は考えることもできなかった様な夢が、今ひとつ形を変えて叶っているってことなんだなぁと思います。

 

いつもありがとう。

 

本当におめでとう。

 

80歳は余裕でこえて、長生きしてね。

『失敗=死』からの脱却

先日亡くなった大事な人は、私達に宿題を残している

 

と、みんなとの話し合いの中で話題が出て以来

 

私が受け取っている宿題ってなんだろう。

 

とずっと考えていました。

 

亡くなってもうすぐ1ヶ月が経つことが

 

今もまだ信じられないくらいなのですが

 

 

 

私がその方からもらった宿題は

 

『生きることを恐れ過ぎないこと』

 

『自分の失敗=誰かの死、自分の死だと今もどこかで思っていることを手放すこと』

 

なのかもしれないな、と今考えています。

 

 

母のことを打ち明けられる

 

心を開ける場所で

 

私はその方に生きることをもう一度、

 

沢山学び直させてもらいました。

 

かなりの心配症で、

 

その心配がいつも恐怖や自責から来ている私と

 

その方は忙しい中でもいつもいつも丁寧に向き合ってくれました。

 

 

『失敗したっていいじゃない。

 

一人で頑張ろうとしないでいいんだよ。

 

何かあったらちゃんとみんなが助けてくれるから大丈夫。

 

僕、いつも忘れ物しちゃうんだよ。

 

忘れ物をしないように赤ペンで手帳に書いてもね、よく忘れちゃうの。

 

いけません。

 

でもその度にみんなが助けてくれるから今があるの、ほんと』

 

 

そんな話をちょうど去年の7月にしてくれたことを覚えています。

 

 

 

『生きることを恐れ過ぎないこと』

 

『自分の失敗=誰かの死、自分の死だと今もどこかで思っていることを手放すこと』

 

 

私はいつか、ちゃんとここを越えよう。

 

 

 

『いいですね!それで行こう!

 

えーと、とーこちゃんは、恐れないっと。

 

よーし、メモした!ちゃんと赤でね』

 

 

きっとそう言ってくれる様な

 

今も声が聞こえる様な気がします。

大事な人の訃報と子ども達

関東の父親の様な、私にとって家族の様に大事な方の突然の訃報が届いて数日が経ちました。

 

今日も朝がつらい、どこか懐かしくもある様な感覚で1日が始まりました。

 

私の仕事は幸いなことに今は在宅で

 

幸いなことに今は田舎に一人で

 

隣人のことを気にする必要もないので

 

昨日は仕事中に声を上げて泣きました。

 

母を亡くした時は都会の狭いマンションで

 

口にタオルを当てて声を出さない様に泣いたのを思い返します。

 

またこうしてじっくり、色んな波を感じながら受け止めていくんだろうな。

 

 

訃報を受けたその日は父もいて

 

二人で外に出ていると

 

下校中の小学一年生達が

 

田舎の一本道を曲がり角まで一緒に帰って欲しいと集まってきました。

 

父と私になんだかんだで懐いてくれて

 

無邪気に笑ったりそれぞれが色んな話をしたり甘えたりしてくれるのが

 

可愛らしくて私は本当に救われた様な気がします。

 

子ども達はいつでも天使。

じしいぞくの私と大島てるの複雑な関係

私は関東で引っ越しをする時、

 

母がじしで亡くなる前も後も、

 

タイトルのサイトを見て不動産屋さんにもよく話を聞いて賃貸の部屋を決めていました。

 

自分の母が亡くなった九州の実家で私はかなり焦燥してしまうので

 

それが他人だとしても申し訳ないのですがやっぱり気になってしまう。

 

できれば、もう今以上は何も気にしなくていい場所がいいな、というのが私の正直な気持ちでした。

 

でも私が唯一サイト内で見れない場所があります。

 

 

それは母が亡くなった実家の情報ですね。

 

今回、実家の近くに家賃3万円台の古いビルの一室を借りたのですが

 

この部屋も調べることはありませんでした。

 

調べたら、すぐ近くの実家の情報も見えちゃうし、見ちゃうだろうなと思ったので。

 

(実家の持ち家に何か書き込みがあるのかどうかもわかりませんが)

 

だからこの部屋を選んだのは、日当たりや場所や部屋の雰囲気、自分の直感で

 

古くて狭いけど、他のどこよりも部屋の中が明るくていい感じがすると思ったからです。

 

すべて遠隔で実物を見ないで決めた部屋でしたが、住んでみて10日ほどが経った今、

 

古さから設備面で気になるところは多少あっても十分快適に過ごせています。

 

だからもうこの部屋で何か起きていたとしても、私は知らなくていい。

 

この部屋のことをもし万が一気にしている誰かのご親族の方がいるなら、きっと大丈夫。

 

もし何かあった部屋だとしても、

もうずっと前に天国に逝かれているんじゃないかな。

 

あのサイトに、その後住んだ人のポジティブな感想を逆に書き込めたらいいのに。

 

(多分そういう欄はなかった気がしますが)

 

そんなことを思った6年目の雑記です。