みんながいる。大丈夫。

Dance with Grief

2014年に母をじしで亡くしてからの、娘の話。実験だったり、冒険だったり、メンタルが強かったり激よわだったりする話。

忘れても残っている

母から昔言われたキツい言葉が未だに残っていて

 

なんでだろう、喧嘩の時のあんな言葉も、ちゃんと理由があったとわかってるはずなのに

 

どうしたんだろうというくらいに今涙が出ます。

 

傷つけ合ったのはお互い様だったことや

 

私はもっとキツいことを母に何度も言ってること。

 

母の命が終わった後の

 

私の命の葛藤ももうかなり穏やかになってきている状態なのに。

 

当時の私が傷ついてるんだなぁ。

 

むしろ

 

私の今の心情がだいぶ平和になったから

 

泣いてでてくるものかもしれません。

 

 

わかりませんが、

 

秋だなぁ。

 

 

 

そしてこれは

 

母にひどいことを言われて昔傷ついた気持ちに

 

母がじしで亡くなった衝撃や悲しさがブーストをかけて泣いてるような、

 

多分、

 

なんとなく、

 

ミックス泣きだなぁ。

 

 

 

ミックス泣き

 

ミックス焼き

 

お好み焼きみたいな。

 

 

これを書いている間は気持ちが落ち着くので、もう少し落ち着いたら、

 

また中島らもさんでも聞こう。

 

 

今でもこんな秋の夜が時々あるというのは

 

とても苦しいけど、これもいいんだと思う。

つらいよね

おじががんで亡くなった事を知った祖母が、

介護施設の自分の部屋で毎晩泣いているとスタッフさんから教えてもらいました。

 

私の母が自宅で亡くなった後、

祖母は母が亡くなった場所に行って毎晩泣いていました。

 

それは私の知る限り5年間は続きました。

 

6年目の去年、家で一緒に過ごしている時はそういったことがようやくなくなったんだなぁと思っていたのですが…。

 

 

今は外に連れて行ってあげたいなぁ。

 

祖母の大好きな飛行機を見に連れて行ってあげたいなぁ。

 

地方のため今は面会が許されているだけでも本当にありがたい事ですが

 

新型コロナの影響で基本、施設からの外出許可は出ません。

 

早く色々出来る様になったらいいなぁ。

 

昨日の面会の時は、100均で見つけた白いボールと手紙等を差し入れしました。

 

ボールはぎゅっと握ると、くしゃっという雪を踏んだ時の様な音がしてなんだか気持ちが良く

 

『これでテレビ観ながら運動したらいいなぁ』

 

と祖母は少し気に入った様子。

 

ボールの不思議な感触が少し好きな感じだったのかな。

 

でも一緒に持って行った卓球のピンポン球は、

『こんなのいらん』という事です。

 

元卓球部のヒロインよ…笑。

ありがとうのハンドサイン

おかげさまでおじの四十九日は無事に終わりました。 

 

コロナ禍がゆえに難しい所や気を揉むところもありましたが

 

コロナのおかげで、人数も少なく会食もなく

おじの死を悼むための一番大事な時間と事だけに集中出来た様な気もしました。

 

介護施設の方のおかげで祖母も少しの間出席でき、祖母がみんなとおじを見送れた事が何よりよかったなぁと思っています。

 

今回私は姪の立場で、且つおじと沢山時間を過ごせて心の準備をする時間があったというのもあると思いますが

 

亡くなった理由がガンと自死だと、自分自身も、みんなで出来る法要の雰囲気もやっぱりまた違うものだなぁと改めてどこかで感じていました。

 

悲しさの中にもどこか穏やかな気持ちも明るさもあるお見送りだったと思います。

 

そしておじの遺影は、奥さんのフラダンスのイベントの時に撮影されたもので

 

シャカのポーズ入り!

 

シャカのハンドサインには、気楽に行こう、ありがとう、全て順調、じゃあね等の意味があると今知りました。

 

だからこの写真をおじは選んだのかな?と

 

おじらしいなぁと感じています。

 

おじちゃん、こちらこそありがとう。

 

また会った時はおじちゃんのコーヒー、楽しみにしてるよ。

祖母の気丈さと白鳥座

先日、おじがなくなったことを祖母に伝えに行った日は

 

慌ただしく過ぎた1日が気がつけばもう夜になっていて

 

私は駐車場にシートを引いて寝転び、父と星を見上げていました。

 

 

天気も自然も味方になってくれて

 

無事に祖母に伝えられた安堵感がありました。

 

母が自死で亡くなった時とはまた違う、

 

祖母の強さと気丈さを感じました。

 

まだ時間が経ってみないとわからない所もありますが

 

今伝えられてよかったのかもしれないと思いました。

 

宣言通り、おじも母も守ってくれているんだなぁと感じた1日でした。

 

 

 

『自分が子どもの頃は、

 

よくじいちゃん(父の父)や兄弟達と蚊取り線香を焚きながら外で夕涼みをして

 

よく寝転んで星や人工衛星を見ていた。

 

気がつけばじいちゃんがそのまま眠って、いつもばあちゃんが起こしに来ていた』

 

と話してくれる父に、いい子ども時代だなぁと思いながら

 

今、父とすごく近くにいられるこの半年も、この時間も

 

両親の離婚後、自分も子ども時代に欲しかった安心感を

 

また沢山もらっている様な気持ちです。

 

 

 

今もここまで来る間も、しっかりと自分も守られているから(周りからも、自分でも)

 

大事な人のことも考えられる余裕ができたこと、不器用なりにも動けるようになっていることに改めて感謝です。

 

私にとってはどれも難しい事、

 

一人では、そして自分に時間を使った後で無ければ、きっとできなかったな。

 

 

さて、もうすぐ色んなことが一区切りつくだろう、おじの49日です。

 

色んな大人の問題が、もっと表面化してきそうです。

 

でもきっと、また全部なんとかなるから

 

また、無事にぼーっと星を眺めていられるように

 

私は私の役割を果たそう。

祖母に伝えに行く日

明日は介護施設に入っている祖母の所におばと会いに行き

 

おじが亡くなった事を伝えに行く日です。

 

最近は提携施設でコロナ患者が出て

 

祖母は体操やみんなとの時間が無くなり一人で過ごす時間が増えていたので

 

尚更、本当に今伝えるのが正解なのかどうか、おばと悩みました。

 

でもみんなと過ごせる時間も再開され

 

施設の方にも事情を説明して祖母をサポートして頂ける話になり

 

明日近くの公園で、一緒に話をしようという事になりました。

 

いつになるかはわからないけど

 

コロナが落ち着いて私達がもっとそばにいられる様になってから

 

伝える方がいいんじゃないかと

 

私は今も何が正解かわからないのですが

 

なんだか伝えるしかない様な。

 

でも決まったからには、私達以外にも天国のおじや母やみんながちゃんと

 

祖母の気持ちを支えてくれると信じようと思います。

揃った形見

もう見つからないかもなぁと思っていた

 

母の形見の着物が見つかりました。

 

淡いピンクの付け下げと朱色の帯で

 

母がお祝いの時や、結婚前の結納の時に着ていたものです。

 

悲しい話ですが、母が亡くなった時、母の部屋にはこの着物が出されてありました。

 

それを見た兄は、

 

『これはお前に、もう一回幸せになれってことだと思うよ』

 

と言ってくれたのですが

 

私はどうしたらいいか分からず

 

今までその着物を実家から関東に持って帰ることが出来ずにいました。

 

(私は25歳くらいで一度結婚と離婚をしています)

 

それを祖母がしまってくれて、後から、認知症の為どこにしまったかわからなくなって…という流れがあった大事な着物です。

 

母が亡くなった時は一緒になかったはずですが、祖母のワンクッションがあったおかげで

 

7年が経った今、着物と朱色の帯と着物の下に着るものが全部セットになって、

 

私の手元にやってきてくれました。

 

母が弟(私のおじ)の結婚式で着ている写真も見つかって

 

『こうやって着るのよ』

 

と教えてくれているかのようです。

 

次の目標は、いつかこの着物をお祝いの時に着ることだなぁ。

 

(写真は帯とその他です)

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ループが2回きたっていう話

前回の記事を書いた時から、

気持ちの柔らかさや敏感さがまた戻ってきました。

 

おじのことを話して泣ける様になり

 

その気持ちを受け止めてもらえて、またありがたくて感謝で泣く。

 

でももういろんな悲しいことや辛いことが起きた時も

 

気持ちがつながって母との事まで落ちていかなくなったのかなと思っていたら

 

翌日の夜は敏感なまま、なんでもないアニメがトリガーになって

 

母に長い間冷たく接した自分を後悔して

 

発作的に泣いてまた夜が明ける。

 

という事になりました。

 

泣いている最中は当然の様に苦しいのですが

 

ひどい関係だった時の、そのままの母と自分の関係を思い出して後悔はしても

 

今の自分は1年前とも2年前ともまた全然違うから

 

泣き続けても私は潰れないでいられたようです。

 

 

今ならいいんだよなぁ。

 

 

もっと自分が弱かった時はこの後悔が大き過ぎて

 

必死でもっと大事な所に目を向けようとしてきましたが

 

今なら、この気持ちでいくら泣いてもきっと大丈夫。

 

その日は眠れないまま割り切って朝焼けを見て、

 

そこからまた何日かが過ぎました。

 

今はおかげさまでまたとても元気にしています。

 

でも、

 

敏感さはちょうどいい加減で残ってるから、

 

なんかしっくり来ていて、今自分にはちょうどいいなぁ。