みんながいる。大丈夫。

Dance with Grief

2014年に母をじしで亡くしてからの、娘の話。実験だったり、冒険だったり、メンタルが強かったり激よわだったりする話。

ひとつひとつの夜

色んなことがあっても、

ずっとがんばって一人で子育てをしている友達が

 

『疲れた、もう娘と一緒に楽になりたい』といった昨夜。

 

自分も発作的にまだその波に飲まれる事があっても

今、相手に対してどう言葉をかけるのがいいのかいざとなったらわからないもので、

 

人が違えば悩みも違うからなぁと

彼女から話を聞きながら、自分の無力さを感じました。

 

私が母を亡くした最初の数年間は

 

『生きてて欲しい』なんて言われても、しんだ方が楽だろうと思う様な地獄を生きる当事者は自分なわけで、

 

そんな言葉は無責任だよなぁ。じゃあどうやって生きればいいの?と痛烈に感じていたので

 

その瞬間の正解の言葉も人それぞれで、わからない。

 

でも、実験の様に生き続けてみたら、

生きていて良かったと思えることの方がずっと増えてきて、今に繋がっているから

(難しいことも、すぐ苦しくなる波も今もありますが)

 

年月が経った今は、当時は辛かった言葉も全然無責任じゃなくて、今に繋がるありがたい言葉だったと感じています。

 

そして今、しにたいほどツラい気持ちの人にも

『生きてて欲しい』と思う自分がいて、

 

無責任かもしれないけど、私は彼女を引き止めたい。

 

 

少し間ができた時に、スマホで何か情報を。と思って検索しても

 

やっぱりいざと言う時は、全て包括された様なもので私達に当てはまる記事が中々見つけられず。

 

読み進めて見つけた記事は

 

前に上智大学の講演会でのお話ですごく引き込まれた、精神科医の松本俊彦さんのものでした。

 

辛かったときの自分になぞらえるとどの記事よりもしっくりきて、

 

自分自身もやっぱり動揺していたみたいで

 

記事を読んでいて、自分もすっと落ち着いて来る感覚がありました。

 

そして彼女とゆっくりなんでもない話をしていたら

 

彼女の気持ちも落ち着いた様に思った瞬間に

 

会話をしていたLINEの画面に雪が舞い始めました。

 

夜中の12時にちょうどなったばかり。

クリスマスイブになった瞬間だったんですね。

 

LINEも粋だね。

 

二人でその雪を眺めて

 

『今日は大丈夫そう』と言った彼女。

 

私は話を聞くくらいしかできないし

 

沢山間違えてしまうかもしれないけど

 

他にも沢山の味方がいる。

 

ひとつひとつの夜を越えよう。

 

一緒に越えよう。