みんながいる。大丈夫。

Dance with Grief

2014年に母をじしで亡くしてからの、娘の話。実験だったり、冒険だったり、メンタルが強かったり激よわだったりする話。

泣いて歩いてまた少し前を向く

父が子離れできないんじゃないかーとか言っていた自分もいましたが

 

自分自身も全然親離れができない甘ったれです。

 

母方の祖母のこともおかげさまで今はだいぶ落ち着き、仕事の都合もあるので、もうすぐまた私は関東へ戻ることにしました。

 

今日まで悶々と、いつがそのタイミングなのかと悩んでいましたが

 

出来るだけフランクに、父に関東へ戻る事を伝えました。

 

『そろそろそういうタイミングかもねぇ』

 

と父は少しさみしそう。

 

そして去年一緒に軽トラでマニュアル運転の練習をした第1コースの道(父が用意した練習コースは合計6つ)をたまたま車で通りながら

 

最初はギアチェンジがなかなか出来なかった事だとか

 

エンストして足が震えてパニックになった交差点だとかを通りながら

 

一年前はあんなに苦労した😹

 

あんなことがあった。こんなことがあった。

 

と笑いながら

 

今はもうスイスイですよ😽

 

と笑いながら過ごしました。

 

絶対こんなことは本人の前では言えないけど

 

良い時間が多すぎて

 

切なくてさみしい気持ちで今日はもうお腹がいっぱいです。

 

父と別れ、日が落ちて暗くなってから

 

部屋に一人ではいられなくて

 

一人で泣きながら歩いてきました。

 

わはは。

 

夜だし、マスクをしてると、色々誤魔化せるからいいよね。

 

次に戻ってくる時は、パートナーがいたり赤ちゃんがいたりするのかもしれないな。

 

父もみんなもきっともっと喜んでくれる様な状態で帰ってこれたらまた最高だな。

 

 

『道と対話して

 

車の声をよく聞いて

 

お前はそれに合わせてギアを入れ替えるだけ』

 

マニュアル運転から人生を学べ。by父。