みんながいる。大丈夫。

Dance with Grief

2014年に母をじしで亡くしてからの、娘の話。実験だったり、冒険だったり、メンタルが強かったり激よわだったりする話。

2025年の9月②

母の命日近くの週末。

 

短い帰省。

 

父方、母方両方とも90歳を越えた祖母達に会いに行った。

 

父方の祖母には、真っ白で綺麗な髪の毛を櫛で梳かさせてもらった。

祖母の柔らかく、しわしわの大きな両手も握らせてもらった。

「ばあちゃんの手は働いて来た手やけんゴツゴツしてるよ」と少し申し訳なさそうに、コロコロ笑う祖母。

 

ずっと忘れたくない、温かさ。

 

母方の祖母の方は、認知症のせいで

私の事がはっきりとはわからなくなっている様だった。

それでも、大好きな和菓子を小さく切って口に運ぶと

目をキラキラさせて

「これ美味しいなぁ🥰」と笑ってくれた。

 

和菓子の白餡に合わせたつもりの牛乳を飲んでもらうと、

「ん、、?これは美味しくない🤨」

 

また和菓子を食べてもらうと

目がキラキラ、

「これ美味しいなぁ🥰」

 

ホームに入って数年、認知症も進んで言葉も表情もだいぶ減ってしまった祖母だけど、

食に関しては心がコロコロ動くので

わかりやすくて可愛い祖母そのままでホッとした。

 

実家のあった地域にお墓お参りに行くと

首輪をしていないチワワが遠くからニコニコしながらかけ寄ってきてくれた。

 

飼い主のおじさんに聞くと、

この子は元々このお寺の子で、自分でお墓の敷地内を一周散歩して戻ってくるらしい。

 

世の中には、こんなにお利口で可愛い子が存在するの。。と思った。

 

短い時間の中でも、行く場所のそれぞれでお互いに心を開いて、何度も心が柔らかく温かくなった帰省だった。

2025年の9月①

母の命日、そしてその前後、約1週間は

今もやっぱり敏感になる。

 

9月の終わりというのも手伝って

涼しくなる風、冷たい雨、暗い朝、すぐ日が暮れるのも

もう、また、あの季節が来たことを思い出させる。

 

11年前に母が亡くなった、その日の前日までは夏の様な明るさだったのに。

 

式場で朝を迎えた時、大きな音で雨が降っていて、朝なのに外も真っ暗で、急激に季節が進んだ様な感覚がずっと残ったままみたい。

 

そして今この時期、路上ミュージシャンは秋にあった切ない選曲をしがちで、

マイクの音量も大きすぎてつらい。

 

耳も感覚も敏感すぎる。

 

9月中旬は、夜に街中を歩いているだけで、涙がこらえられなくなっていた。

 

あぁこのまま溶けてしまえたらいいのになぁ。と横になりながら泣いた。

 

そんなこんなで地元へ帰省。

健気に夜を越えようとする人達に世界はきっと優しい

世界って、今生きているこの世のことだけではなく
先に逝った人たちも、これから出会うはずの人たちも

 

それはきっと何層にも重なって、
色んな場所から、色んな人たちが
今生きている私たちの窮地を全力で助けようとしてくれていると信じている。

 

一時一緒に過ごした叔父がガンで亡くなる前、私に約束してくれた。

 

『僕も死んだら、⚪︎⚪︎さん(私の母)やお父さん(私の祖父)と一緒に、ともちゃんやみんなのことを絶対に守るって約束するから』

 

きっとそう言ってくれた叔父も、母も祖父やその前のご先祖様たちもきっとこの動画くらい全力で旗を振ってくれている。

遺された私たちの絶体絶命の窮地を絶対に守ってくれている。

 

私にはよく、不思議なことが起こる。


特別な宗教観は何もないけど、私がずっと望むものだから
母や祖父達と呼応しているのかもしれないと感じる時がある。
私が変わっている事に間違いないけど、怖がられるのも嫌だから
信頼できる人にしか言わない。

 

だけど、あまりにも説明ができないほどに、私たちは繋がっていて守られていると思う時がある。

 

先立った人達はきっと全ての苦しみから解き放たれた場所で
善や悪も常識も超えて
今度は今とてつもない苦しみと一緒に、生と死に挟まれている私たちを支えようとしてくれているのではないかな。

きっと大丈夫。


変えられないものはたくさんあるけど
健気に夜を越えようとする人たちに、世界はきっと優しい。

 

私にそうであってくれるなら、きっと全ての人にとってもそうであるはずなんだ。

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下記はBBC promsというイギリスで行われる世界的な音楽祭の最終日の定番場面らしい。
クラシックの日本語タイトルは威風堂々。

特に2014年の、このユーモアたっぷりの指揮者さんでの演奏が素晴らしい。
始まり部分の音が大きいので苦手な方はご注意を😳

 

いつか現地でこの指揮者さんでこの曲を聴きたい。
日本の国旗を私も振りたい。
母を亡くした後、一番最初に持った夢。

 

小さなvlogを始めて1年が経ちました。

動画は5月に撮っていたもの。

私生活での2ヶ月間の修行(私にとっては1年で一番忙しい時期)を終えて、先ほど更新。

 

ちょうど、はてなブログから1年前の記事のお知らせが届いた。

その記事のタイトルが、「小さなVlogはじめました」

 

そっか、ちょうど1年なんだ。

 

私にできないできない、と苦しくなってもがいていたのだけど

やっぱり、、ちゃんと時期ってあるのかも知れない。

 

これも何かの手のひらの上だと思っていたいなぁ。

 

しっかりメイクをし、何となく社会的な自分で撮って

自分で、頬骨の辺りが少し母に似ていると思った。

今回はこれがちょうどよかった。

 

お暇な時みていってくれたら嬉しいです。

youtu.be

戒めよりも、愛情を。今は。

人は愛情のコアな部分に近づいたり触れたり、見たり聞いたり想像したりするとこんなに涙が出たり、感情が揺らぐ。時々生死にも関わっていく。

 

じゃあやっぱり生き物として、核になっている部分は身体でも脳でもなくて、

愛情なのかなぁとか今朝ぼんやり考えていた。

 

母と死別した自分の中に遺っているものは、母の愛情。

どんな亡くなり方も、生き方も関係なく、最後に人は愛情だけになる。

11年前から考えあぐねたスーパーシンプルナイズ自論。

 

「自死した人は成仏できない」等は、自死予防のための啓蒙的なイメージだと思うのだけど、それ以上を考えたことがなかった私は母方の宗教に大変苦しんだ。

 

きっと母は向こうでも苦しんでいるからお経をあげるようにと言われて、泣きながらお経の文字を目で追った。

母が亡くなった後、苦しむ母の悪夢ばかり見た。

 

人は人を生かさないといけないから、苦肉の策で誰かが言い出したことなのかも知れない。

その苦肉の策によって生きていけなくなりそうなほど苦しむ人は私以外にも多いと思う。

 

誰が悪いというわけでもなく、誰も知らない事だから仕方がないのかもしれない。

 

私の古い顕微鏡の中の、微生物たちももしかしたら

何でもわかっているつもりになっているのかもしれないなぁと思う。

 

数年前、石垣の沖合で水深40〜50メートルの世界に潜った。

空気と水の境を超えただけで、全く違う。

知らない世界がこんなにもある。

 

わかっているつもりでも、私たちは何も知らないから

私はこれからも好きにイメージしようと思う。

 

世の中の大多数の人達に別に意見なんかない。

ただそう思っているだけ。

私の入眠日課の一つ:優しさホルモンを味方につける

私は動画の中で、薬は最初だけで後は飲んでいないと言った。

でもこれを言うだけでは足りない。

昔の私ならここでもう怒ると思う(😂)

 

何もしないであの毎日を過ごせていたわけでは無いのに

でもその続きがまだ編集できないジレンマ。

 

今の出来事から頭を整理しつつ、

とりあえずブログに書き出していきたいと思う。

 

みんなそれぞれ自分に合った方法を探しているのだと思う。

あくまでもこれは私の場合の話。

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今日はタイから帰国中の食パンまんと2年ぶりに長い散歩をした。

 

日本のパスタが美味しい美味しいと言いながら、彼は私の好物のエビをくれた。

 

彼は数年前も、町中華のお店で私がエビを好きなことに気づきプリプリのエビをくれた。

 

相変わらず優しい人だ。

 

なんだか他にもいろんな話をしたことを今ここに書こうと思ったけど

 

プリプリのエビをくれたことを思い返した時ほど

 

頭がじわっとならなかった。

 

脳内のなんらかのホルモンが分泌される感覚。

 

もちろん友達と久々に会えた嬉しさと、何年経ってもエビをくれる彼の優しさ、それに対する嬉しさも相まっているのだと思う。

 

今1人の時に、この記憶やホルモンに助けられほんの少し不安から解消されていられるのは、

全部彼のおかげだ。

 

そして何度もその瞬間を思い出し感謝するほど

ホルモンが味方になってくれる。

 

そして少しでも笑えたら、また1段階頭が軽くなる。

 

そのために感謝するわけでは無いのだけど。。笑

 

そしてその相手や、また違う誰かに自分も少し優しくなれる。

 

いい循環になってくれていることに改めて気づく。

 

母が亡くなって眠れないほど苦しかった時は、

誰かが言ってくれたことや、日常の小さな嬉しかった事をノートに書いて寝ることも入眠のための日課の一つだった。

 

その時もいつも、この脳がじわっと温かくなるような感覚があった。

現実が地獄でも、心が少しホッとして、辛いことを少しでも和らげることに役立った。

 

悪夢が減っていくことにも私の場合少しは役立っていたと思う。

 

そして少しでも眠ることに成功したら、その分少しパワーがチャージできる。

 

抗不安薬の成分が何か私にはわからない。

私なんかに偉そうなことは何も言えない。

でも、薬はなくても日常の中でホルモンを少しでも味方につけることができたら

辛い現実にも少しでも抗える味方が増えるのでは無いかと

探り探り生きてみている。