みんながいる。大丈夫。

Dance with Grief

2014年に母をじしで亡くしてからの、娘の話。実験だったり、冒険だったり、メンタルが強かったり激よわだったりする話。

グリーフはエネルギーでもあるから

私のグリーフが持つエネルギーが大きくてですね。

 

使い方を間違えたら自分を死なせてしまうかもしれない。

または誰かを死なせてしまうかもしれない。

というくらいの時が長らくあったのです。

 

(今もどこかに潜んでいるだけなのかも)

 

一般的なエネルギーは移動したり形を変えるだけで

その総量は変わらないとかなんとかって(うろ覚え)

よく理系の父が言っている気がするのですが

 

グリーフもそうだよなぁとずっと実感し続けているのです。

 

これまでも

大きすぎるエネルギーのコントロールに何年も悩まされてきたけど

特に私は怒りのコントロールというものが苦手で

今もうまくできないことが多いのです。

 

だからなのかできるだけ穏やかな人と接したい。

 

トラブルにも巻き込まれたくない。

 

エネルギーを暴発させてしてしまうくらいなら

 

冷たい人間と思われて嫌われる方がまだいい。

 

でもずっと避け続けるわけにもいかず

これは0:100に近いのでは?と思える稀な時は特に

失敗してその場に戻れなくても良いから怒ってみることにしています。

 

ごめん。と心の中では謝ります。

(極端)

 

今みたいな不動産トラブルが降って湧くと

ここまでくるとこれはいいリハビリに。。。と心のどこかで思う私は悪魔かもしれない。

 

そしてコントロールが難しいからこそ、

どこまで怒ってみるか、の線引きは忘れないようにしなきゃいけないけど

やっぱり難しい。

 

とはいえそろそろこのトラブルの相手をすることにも疲れ

おみくじには「他人を恨むべからず」とあり

早くまた穏やかに暮らしたい気持ちが一番だから

 

この先のために、

何を手放したら、一番無事か、も考えなきゃいけない。

 

私に詳しくはわからないけど

今回の不動産トラブルでは、お金で安心を買って早いとこ縁を切るのが得策かな。

 

エネルギーはこの後の引越しだとか、必要な場所に変換して使えたらベストかな。

約10年越しのありがとう。

去年の秋頃から再開した、アメリカ人の女友達との言語交換。

 

数年ぶりに再開してかれこれ数ヶ月が過ぎた。

 

最近は2週間に1回、オンラインで2〜3時間、

お互いの言語を交換して最近の事を話すのが定着している。

 

ミネソタと日本の時差、そして冬時間の関係で

スケジュールが本来とてもタイトながら楽しくてつい時間をオーバーする。

 

彼女とは10年ほど前のガリガリのボロボロの状態で半年暮らした石垣島で出会い😂、

仲の良かった4人で暇さえあれば海にもぐり

ビーチで言語交換の途中から髪を切ってあげたり(適当でいいと言うので)

 

海ばたの道でお行儀も何もかも無視してショートケーキを食べながら歩き

「こんなこと東京ではできない!」と言って笑ったり

 

バーベキューの時100円で買ってきた包丁に

【GALAXY】と真面目に刻印されているのを見てツボにはまったりした。

 

とにかくいつも彼女といるとくだらないことで一緒に笑っている思い出が多く、

それは何年経っても色褪せない。

 

賢くてなんだかシュールな事を言う、私の尊敬する女性。

 

去年の秋の、言語交換を再開した初日、

私は真面目な話をしたいと切り出して

初めて母のことを彼女に伝えた。

 

それは彼女やみんなとのあの半年間にどれだけ助けてもらったかわからないと

ありがとうと伝えるため。

 

 

これなんだよなぁ。

 

これなんだよなぁぁ。

 

 

じしで家族を亡くした苦しさにも色々ながら

 

本当の事がなかなか言えない苦しみの中には

だからこそあの時あなたに助けられたんだよという、

ありがとうでは伝えきれない感謝も、口にできない苦しみが私にはあった。

 

言う機会はいくらでもあったのに、10年近く、それが苦しくてできなかった。

ずっと彼女に言えていないことがもどかしかった。

でも、やっと伝えることができた。

 

彼女が返してくれた言葉やその時の表情も決して大袈裟ではなく

そんな彼女だから私は心地いいんだろうなぁと思う。

 

私達はお互いに自分達は今もすごく子どもみたいだと言うけど、

それでもやっぱり、少し成長したみたいだ。

こんな今も、きっと思い出になる。

グリーフをまんなかにして生きることしか

道がなかったとも言える私を見て

感情に振り回され、母が亡くなった哀しみにいつまでもしがみついていると

心配が嫌悪に変わっている兄。

 

上手く言えないけど、こういう人も世の中には多分一定数いる。

 

母の死のことや、亡くなり方のことをキッパリと忘れて生きろとか

それが起こる前にお前がやりたかった事は何だとかって話を

先日東京駅の地下で、数時間にわたって兄と歩きながら話をしていたのです。

 

同じところを何度も歩き回って

余分なエネルギーを発散しつつ

お互いに顔も見たくなくなって

喉もカラカラになり、途中ポカリ休憩を挟み

久しぶりに口論とも言える話し合い。

 

途中、大きな声で話している酔っぱらいとすれ違い

「あの声量でこのくらいの速度ですれ違った人なら、会話内容はわからないか」

とかって現実的な恥ずかしさを計る自分。

 

絶対知り合いには会いたくない状況だったけど

もしもすれ違った方がいらっしゃったら

あれも私達の家族の形ですのでやんわり見守っていただけると嬉しいです(恥)

 

なんでも言い合う。

ぶつかり合うのも家族。というのが昔から母の方針なので

私達はこれも日常。

 

ただ、

感傷的になるわけではないけど改めて思う。

 

母が亡くなる前にやりたかった事など、もうないんだよ。

実際にそれ以前の事をあまり覚えていない。

 

人生が変わるっていうのは、そういうことでもあると思う。

 

言いたいことは言い合うけど、

家族同士だと一層、心配、現実、将来のこと、諸々が加わるから

純粋な哀しみや辛さ、弱さを打ち明けることが私には難しい。

むしろ純粋に笑うことすら私にはずっと難しい。

 

と書いていて、なんだか矛盾していることに気づく。

家族と接する時、私は強さが必要なんだなぁ。

 

そんな不器用な家族間だけでは守れない気持ちがあるから

第3の居場所が私には必要だった事を改めて今思い返している。

2025年の9月②

母の命日近くの週末。

 

短い帰省。

 

父方、母方両方とも90歳を越えた祖母達に会いに行った。

 

父方の祖母には、真っ白で綺麗な髪の毛を櫛で梳かさせてもらった。

祖母の柔らかく、しわしわの大きな両手も握らせてもらった。

「ばあちゃんの手は働いて来た手やけんゴツゴツしてるよ」と少し申し訳なさそうに、コロコロ笑う祖母。

 

ずっと忘れたくない、温かさ。

 

母方の祖母の方は、認知症のせいで

私の事がはっきりとはわからなくなっている様だった。

それでも、大好きな和菓子を小さく切って口に運ぶと

目をキラキラさせて

「これ美味しいなぁ🥰」と笑ってくれた。

 

和菓子の白餡に合わせたつもりの牛乳を飲んでもらうと、

「ん、、?これは美味しくない🤨」

 

また和菓子を食べてもらうと

目がキラキラ、

「これ美味しいなぁ🥰」

 

ホームに入って数年、認知症も進んで言葉も表情もだいぶ減ってしまった祖母だけど、

食に関しては心がコロコロ動くので

わかりやすくて可愛い祖母そのままでホッとした。

 

実家のあった地域にお墓お参りに行くと

首輪をしていないチワワが遠くからニコニコしながらかけ寄ってきてくれた。

 

飼い主のおじさんに聞くと、

この子は元々このお寺の子で、自分でお墓の敷地内を一周散歩して戻ってくるらしい。

 

世の中には、こんなにお利口で可愛い子が存在するの。。と思った。

 

短い時間の中でも、行く場所のそれぞれでお互いに心を開いて、何度も心が柔らかく温かくなった帰省だった。

2025年の9月①

母の命日、そしてその前後、約1週間は

今もやっぱり敏感になる。

 

9月の終わりというのも手伝って

涼しくなる風、冷たい雨、暗い朝、すぐ日が暮れるのも

もう、また、あの季節が来たことを思い出させる。

 

11年前に母が亡くなった、その日の前日までは夏の様な明るさだったのに。

 

式場で朝を迎えた時、大きな音で雨が降っていて、朝なのに外も真っ暗で、急激に季節が進んだ様な感覚がずっと残ったままみたい。

 

そして今この時期、路上ミュージシャンは秋にあった切ない選曲をしがちで、

マイクの音量も大きすぎてつらい。

 

耳も感覚も敏感すぎる。

 

9月中旬は、夜に街中を歩いているだけで、涙がこらえられなくなっていた。

 

あぁこのまま溶けてしまえたらいいのになぁ。と横になりながら泣いた。

 

そんなこんなで地元へ帰省。

健気に夜を越えようとする人達に世界はきっと優しい

世界って、今生きているこの世のことだけではなく
先に逝った人たちも、これから出会うはずの人たちも

 

それはきっと何層にも重なって、
色んな場所から、色んな人たちが
今生きている私たちの窮地を全力で助けようとしてくれていると信じている。

 

一時一緒に過ごした叔父がガンで亡くなる前、私に約束してくれた。

 

『僕も死んだら、⚪︎⚪︎さん(私の母)やお父さん(私の祖父)と一緒に、ともちゃんやみんなのことを絶対に守るって約束するから』

 

きっとそう言ってくれた叔父も、母も祖父やその前のご先祖様たちもきっとこの動画くらい全力で旗を振ってくれている。

遺された私たちの絶体絶命の窮地を絶対に守ってくれている。

 

私にはよく、不思議なことが起こる。


特別な宗教観は何もないけど、私がずっと望むものだから
母や祖父達と呼応しているのかもしれないと感じる時がある。
私が変わっている事に間違いないけど、怖がられるのも嫌だから
信頼できる人にしか言わない。

 

だけど、あまりにも説明ができないほどに、私たちは繋がっていて守られていると思う時がある。

 

先立った人達はきっと全ての苦しみから解き放たれた場所で
善や悪も常識も超えて
今度は今とてつもない苦しみと一緒に、生と死に挟まれている私たちを支えようとしてくれているのではないかな。

きっと大丈夫。


変えられないものはたくさんあるけど
健気に夜を越えようとする人たちに、世界はきっと優しい。

 

私にそうであってくれるなら、きっと全ての人にとってもそうであるはずなんだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

下記はBBC promsというイギリスで行われる世界的な音楽祭の最終日の定番場面らしい。
クラシックの日本語タイトルは威風堂々。

特に2014年の、このユーモアたっぷりの指揮者さんでの演奏が素晴らしい。
始まり部分の音が大きいので苦手な方はご注意を😳

 

いつか現地でこの指揮者さんでこの曲を聴きたい。
日本の国旗を私も振りたい。
母を亡くした後、一番最初に持った夢。