みんながいる。大丈夫。

Dance with Grief

2014年に母をじしで亡くしてからの、娘の話。実験だったり、冒険だったり、メンタルが強かったり激よわだったりする話。

桜を見れない気持ちが薄らぐ

まだ寒いうちの桜の蕾は同志が沢山いるみたいで好きなのに

 

いざ春になって花が咲くと苦しくかなしい気持ちになったり

 

桜を見るための人の多い道を避けて通っていた時の気持ちが

 

今の自分には少し過去の話になってきている様です。

 

 

去年は父と桜の下を一緒に歩きました。

 

そんな温かい思い出もだんだん重なって

 

あの時のつらさを忘れて来てる。

 

でも、うまく忘れてもいいんだな、きっと。もう。

 

そのことにも、もしかしたら、だんだん気づかなくなっていくのかもしれないし

 

ある時また降ってくるのかもしれないけど。

海辺の公園

私がこの半年暮らしている街は小さい頃からずっと縁のある場所で、亡くなる少し前まで母が大叔母と暮らしていた場所でもあり、母と私が最後に会った街でもあり、去年亡くなったおじとのドライブの場所でもあります。

 

(思い出が多いので、場所によっては色々と胸が苦しくなる時もあります)

 

今日は夜も暖かかったので、仕事終わりに少し遠くの海辺の公園へ行ってきました。

 

そこは大叔母の家があった場所の近くで、大叔母からも母からも、小さい頃兄と一緒によく散歩に連れて行ってもらった公園です。

 

公園のベンチに座っていると、偶然、近くの港からフェリーが出るのを見送ることができました。

 

小さい頃、同じフェリーをよく母や兄と見送っていたことを思い出しました。

 

母も亡くなる少し前、フェリーや、海の向こうの街の明かりを見てたのかな、とか

 

母がここにいた時、少しでも沢山、温泉を楽しんだり、景色を楽しんだり、いい時間を過ごせていたらいいなぁと思いました。

 

春になりましたねぇ。

兄妹だって気持ちはそれぞれ。

『ばあちゃんがばあちゃん自身に使っていた言葉を借りるとすると、よくはない言葉だけど、おまえはノイローゼ⭐️』

と数年前に私に言ったのは、生まれた時から素直さの化身みたいな年子の兄。

母の死から数年が経っても、受けているショックが大きい私に対しての言葉でした。

 

当然当時の言葉に星マーク要素はなかったので私の後付けですが

本人は多分これくらいの軽い気持ちで口にしていると思います(困)

 

母が亡くなって、家に帰ってきている時

初めの夜は母と同じ部屋に私たちも布団をひいて兄妹で手を繋いで眠ろうとしました。

ですがお互いにほとんど眠れず、少し眠れても片方が苦しくて目をさます。

その度にもう片方が起きる。を何度も繰り返してようやく朝になりました。

 

兄と私の中に同じくらいなんだかよくわからない激しい苦しさの様なものがあることを、お互いが感じていた様に思います。

 

あの時ほど、兄の存在がありがたかったことはありません。

 

話を元に戻すと、

初めは同じような反応をしていた兄妹でもこんなに母の死に対しての考え方や感じ方が違うものなんだと、時間が過ぎるほどに不思議に思っています。

 

同じ遺伝子でできていても、人も違うし、もちろん生き方も違う。

母との付き合い方、距離、見てきた面も諸々も違うので、兄は兄なりの悲しみや苦しさとその表現の仕方があり、それは私にとっても同じ。

 

ノイローゼ⭐️と言われた私の8年の色と(根に持っている妹はこわいですよ👿)

彼のこれまでの色もまた全然違うものなんだろうなと思っています。

8年分の気持ちの色

2021年の8月頃、

私は母を亡くしてこれまでの8年間の自分の心って色にするとどんな感じだったんだろう?と、思いつくままにまた描いてみたくなりました。

 

(色にしたり絵にしてみたり、なんだかよくしてますね笑)

 

畳に大きな模造紙を広げて

少しでもよく思い出すために、母を亡くした後の8年間自分がどこで暮らしたとか、

印象的だったこととか、一緒に笑ったりご飯を食べたり、そばにいてくれた人の名前を思いつくままに書き出しました。

 

(名前等が入っているところはモザイク処理をしています)

 

f:id:dancewith:20220305201153p:image

 

懐かしいなぁ。

 

当時の気持ちを思い出しながら次の模造紙へ。

 

先にお伝えすると、とても抽象的ですし、以前に書いた絵との整合性とかもまったく考えてなく、

誰か偉い先生が推奨しているやり方などでもありません。

 

ただ自分の心の中を5つの丸にして、感覚で色をつけてみただけの絵です。

 

(ひとつの丸じゃ足りなかった…)

 

f:id:dancewith:20220305201929p:image

 

そうだなぁ。

 

真っ黒が無くなったから、今は悲しみや苦しさが全く無くなったわけでもなく。

 

うまく言えませんが

 

苦しみは和らいで来たり、そして付き合い方も少しずつ上手くなってきたりしている様な。

 

そして悲しい気持ちがずっと心の大事なところにあるからこそ、いろんな人といろんな日々を過ごす中で、今までになかった色が生まれて来ているということの様な。

 

いろんないろんな、で。

 

なんだかそんな気がしています。

 

そして、またここからも変わっていくんだろうし、また何年後かに見ると、違って見えたりもするんだろうな。

 

そんなことを考えている2022年です。

kiitos. 21号

 

休みが必要な自分に気づくことから

 

疲れの原因や、それに対する対処法などが

 

少し字は多いですが、やさしく読みやすい文体で

 

監修されて書かれています。

 

大変な中で生きる中で

 

小さな嫌なことや時間を少しずつ手放して

 

小さな味方をたくさん集めることが書かれているなぁと思いました。

 

(いきなりAmazonを載せてすみません)

------------------------------------------------------------------------

 

7年前に母を亡くした直後から

 

私の心も身体も、思考回路や判断力も

 

同時に

 

朝起きて夜寝るという当たり前だったこともとても苦しくて難しくなり

 

私の毎日の生活はそれまでとはまったく違うものになりました。

 

手足にはかすり傷一つないのに、脳がショートしてしまって

 

朝、出勤の為の服を選ぶこともできなくなりました。

 

 

自分をコントロールできないことにもショックを受け

 

こんな状態で生きなきゃいけないん?

 

と、ひとしきり唖然として、怖くなったのと

 

色んなことが受け止められず、泣いたことを覚えています。

 

 

そしてまた時間をかけて少しずつ

 

変わってしまった自分を受け入れて

 

また新しいやり方や、自分との付き合い方を

 

周りの人達からも助けてもらいながら少しずつ学んでいくことが

 

母のことを受け止めていくためにも、私には必要なことだと思っています。

 

 

この雑誌のこの号には

 

大事な人や身近な人の命についてだったり

 

誰かを亡くしたかなしみや痛みについて触れられることはないようですが

 

でも

 

脳を休めること、眠るためのこと、栄養素のこと

 

セロトニンのこと、ホルモンバランスのこと

 

香り、朝陽を浴びること、歩いたり運動をしたりしてエネルギーを外に出すこと

 

マッサージ、カフェインとの付き合い方、そんな日々のことなど

 

実際に自分が習慣にしていることや、過去にしていて助けられたことも多く含まれていました。

 

 

特に脳を休めること、が私にとってすごく大事だなぁ。

7年目の自分

母が亡くなってから苦手になってしまった、

 

秋の真っ只中です。

 

丸7年が経った今は

 

先日みたいに急に苦しくなる時があっても

 

昔みたいにその後1週間仕事を休んでしまったりということはありません。

 

発作的に泣き続ける形は変わらない時があっても

 

悲しみの痛みの深さも、内容も、昔感じていたものとは少し違う様な気もするし

 

その後のダウンタイムは今は1.5日という感じな気がします(何もかも見誤りがち、ではありますが)

 

でも決して悲しくないわけではなく

 

時々は激しくて重くても、

 

これでも前よりずっと穏やかに悲しむことが出来る様になって来ている様な気がします。

 

これもまた年輪みたく、一年ごとに少しずつ輪が大きくなっている気がするなぁ。

 

でも注意を忘れずに、という感じだなぁ。

 

 

そしてこれは7年よりも前に思えるようにはなっていたけど

 

これからも色んなことがあるとは思うけど

 

生きていることはおもしろいと思う。

 

楽しいと思う。

 

時々めちゃくちゃ難しいし

 

しんだほうが楽だと思うくらい苦しいし

 

周りに迷惑沢山かけちゃうけど

 

人と関わることって本当にドラマチックだと思う。

 

私は父と母の娘で兄ときょうだいで幸せだと思う。

 

大事に想ってくれる人達の為にも

生きていたいしこれからも沢山一緒に笑って泣いて過ごしたいと思う。

 

母が亡くなって1年目の冬には到底思えなかったけど

 

『LIFE is GIFT』だと今は静かに思えます。

 

そういう広告が、昔、新宿の伊勢丹にありました。

 

 

 

別件ですが、

 

小三治さん、一度でいいから会いたかったなぁ。

 

明日はたまごかけごはんを食べようかな。

忘れても残っている

母から昔言われたキツい言葉が未だに残っていて

 

なんでだろう、喧嘩の時のあんな言葉も、ちゃんと理由があったとわかってるはずなのに

 

どうしたんだろうというくらいに今涙が出ます。

 

傷つけ合ったのはお互い様だったことや

 

私はもっとキツいことを母に何度も言ってること。

 

母の命が終わった後の

 

私の命の葛藤ももうかなり穏やかになってきている状態なのに。

 

当時の私が傷ついてるんだなぁ。

 

むしろ

 

私の今の心情がだいぶ平和になったから

 

泣いてでてくるものかもしれません。

 

 

わかりませんが、

 

秋だなぁ。

 

 

 

そしてこれは

 

母にひどいことを言われて昔傷ついた気持ちに

 

母がじしで亡くなった衝撃や悲しさがブーストをかけて泣いてるような、

 

多分、

 

なんとなく、

 

ミックス泣きだなぁ。

 

 

 

ミックス泣き

 

ミックス焼き

 

お好み焼きみたいな。

 

 

これを書いている間は気持ちが落ち着くので、もう少し落ち着いたら、

 

また中島らもさんでも聞こう。

 

 

今でもこんな秋の夜が時々あるというのは

 

とても苦しいけど、これもいいんだと思う。